こんばんは!
年金アドバイザーのhirokiこと定松広樹です。
中曽根康弘元総理が101歳で亡くなられましたよね。
中曽根さんは昭和57年11月27日から昭和62年11月6日まで首相を務めた人ですが、年金の大改革の時の大変な功労者でもあります。
中曽根さんが年金?って疑問に思われた方も多いかもしれないですね^^;
中曽根総理を思い出す時、国鉄(JR)、電電公社(NTT)、日本たばこ産業(JT)の国営で国としては大きな負担だった企業を民営化して無駄を削減したというイメージが強いですよね。
特に国鉄共済組合は赤字だらけでほとんど破綻寸前だったから、あの時は国家公務員共済や厚生年金からの高額な支援金、そして国鉄自身の大幅な人員整理で何とか経営を立て直した。
国鉄が危機的状況に陥ったのは、戦前戦後に輸送力の増強や海外引揚者(旧満州とか外国に住んでた日本人が日本に帰ってきた)の雇用のために国策に従って大量に雇用した職員が昭和40年代ごろから一斉に退職していったため。
さらに、昭和50年代からの自動車産業の発展により、鉄道産業が縮小されてしまい、昭和30年ごろには50万人ほどいた職員が30万人まで縮小された(平成2年には約20万人まで縮小)。
縮小した職員で退職した職員を支える状態になってしまった。
しかし中曽根内閣の最大の目玉はなんといっても昭和60年の年金大改正である「基礎年金導入」でありました。
よく学校とかに使われてる歴史の教科書とかはさっきの国鉄とかの三公社の民営化あたりが主に書いてると思いますが、中曽根行政改革の最大の目玉は年金改革による基礎年金の導入と、健康保険に本人一割負担を医療保険改革でした
当時の社会保障分野の行政改革こそ中曽根内閣の最大の改革だった。
この時に年金の形が大きく変貌しました。
この記事は約
NaN 分で読めます(
NaN 文字 / 画像
NaN
枚)