12月5日、東京高裁は、熊谷6人連続殺人事件(2015年9月)の裁判で、一審の死刑判決を棄却して無期懲役判決を言い渡した。一審の裁判員裁判での死刑判決が覆された6例目となった。
二審の東京高裁はペルー人のナカダ被告に対し、心神耗弱状態だったと判断。「妄想がなければ繰り返し殺人を犯す状況になかった」として、一審判決を破棄して無期懲役刑とした。
職業裁判官は、従来の刑事司法の考え方や過去の量刑と比較した「公平」を重くみて、正義を行ったという意識だろう。
心斎橋の事件で夫を殺害された妻は「裁判所はなぜ、みずからの意思で覚醒剤を使用して罪を重ねた被告をかばい、2人の命を軽視するのでしょうか」と会見で語った。
熊谷の事件で妻と小学生の娘2人を殺害された夫は、「一審で死刑判決が出たことで一区切りをつけ、仕事にも復帰したところだった。予想だにしなかった判決で、こういうことが実際にあるのだろうかと。まったく納得していない」と、相当のショックを受けていると報じられている。
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裁判員裁判を導入した意味は何か。法務省のホームページには「国民の皆さんが裁判に参加することによって、国民の皆さんの視点、感覚が、裁判の内容に反映されることになります」と掲示している。
要は、一般庶民の素朴な感覚を判決に活かすということだ。
この一般庶民が、あまりにもおかしな判断を下したら、それは直(ただ)す必要がある。
だが、一審の段階で十分に議論されているはず。裁判長以下、職業裁判官が3名も合議に加わっている。当然、これまでの量刑との公平性も裁判官が示して、「公平の観点ではこうなりますよ。どうですか?」と議論したうえでの決定のはずだ。
裁判員の方々のご苦労のもとで下された一審の判決は、非常に重い。新たな証拠もないのに二審でそれを覆す判決は、裁判員裁判の制度そのものの存在意義を揺るがすような判決と言わざるを得ない。
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