●参加型社会とは
周平★ー参加型社会、という構想が橘川さんの中に生まれたときのことを教えてください。どうしてそんなことを考えられたのか?
橘川★戦後社会というのは、戦争で焼け野原になった都市の復興から始まった。だから国民の目標は一つだった。「豊かになること」。経営者も労働者も、獲得する目標は違いなかった。国民がみんな同じ方向を向いていたので、組織はピラミッド型になり、メディアは一方向性でよかった。
ところが高度成長が終わって、一応「豊かな社会」が誕生し、飢えて死ぬ人がいなくなった時に、国民全体の「目標」が失われたわけだ。それと同時に価値観の多様化がはじまるが、それは、社会が目標を設定するのではなく、ひとりひとりが自分の目標を探さなくてはならない時代に大きく転換したわけだ。それが1969年だと思う。
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