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§ ぶんぶくちゃいな § vol.305-1 § 蘭州ラーメン屋の秘密のおはなし ・その1§

§ 中 国 万 華 鏡 § 之 ぶんぶくちゃいな
日本で暮らす中国人が増え続けているせいか、最近いろいろな「新しい」中華な食べ物が日本に流れ込んできている。すでに一部では「火鍋」の名前で定着しつつある麻辣鍋や香港式の大衆食堂「茶餐庁」というスタイル、さらには桂林の米粉(ビーフンなんだけど、太くて台湾のそれとは違う)、わたしの大好きなヒツジの背骨肉を使った火鍋「羊蠍子」…今年、爆発的に大流行した「タピオカミルクティー」もその一つだ。 東京周辺にはかなりの選択肢もあって、4年間の東京生活で恋しくて恋しくてたまらなかったものが食べられるようになったのは嬉しい。とはいえ、地方都市ではまだまだなのだけれど、これからゆっくり東京周辺で「勝ち組」料理になったものが、地方にも流れ込んでくるはずだ。本当に中国人(「華人」も含めて)は今やどこの街でも暮らしているから。蛇足だが、ある瀬戸内の過疎の島にも中国人が暮らしていたのにはさすがにびっくりした。 こうした、日本人には目新しい中国料理の中で、ここ数年とくにメディアに取り上げられることが多かったのは「蘭州ラーメン」ではないだろうか。たぶん、東京神保町に出来た店がきっかけとなり、さらにはほぼ同じ頃には郊外に通好みの店ができ、密やかなバトルを生んだ。これが呼び水になってばらばらっと「蘭州ラーメン」を名乗る店が誕生しつつある。最近、わたしが暮らす福岡にもできたようだ。 蘭州ラーメンがうまくメディアにのるようになった結果、中国界隈に詳しい人たちの間でホットなラーメン関連話や情報が取り沙汰され、いろんな意見交換も進んでいる。わたし自身は食べる一方で、さらには蘭州にも行ったことがないので、それを論じるほどの資格はないのだが、メディア上には集客効果を狙う経営者が煽った結果、さすがのわたしも「ん?」と思うような話も少なくない。たとえば、麻辣火鍋を「漢方」と謳って妙な関心を引こうとする、そういうレベルの話も混在する。 まぁ、危害はないんだろうけど、調子に盛りすぎて蛇足状態になってしまうのは日本のパブリシティの常。それを信じるかどうかは自由だが、中国現地には意外や意外な話が転がっていることがある。 ちょうど先日、友人のジャーナリストが運営するメディアに掲載された、北京の蘭州ラーメン屋の店主のインタビュー記事が大変興味深かったので、編集長である友人の同意を得た上で翻訳してここに全文をご紹介する。 中国西北地方の貧困県から、文字通り腕一本でのし上がってきた蘭州ラーメン屋さんが歩んできた道のり。一人の現代中国人を知る意味でも大変深い点が多いので、ぜひご覧いただきたい。 ********************************** <執筆者浮キキより>(「キ」は「王」偏に「其」) 「沙県小吃」(*1)、「黄メン鶏」(*2)、そして「蘭州ラーメン」は、中国飲食業界の「ビッグスリー」と呼ばれている。蘭州ラーメン業界の統計によると、蘭州ラーメンを名乗る店は国内に3万5000店舗、そして海外にも110店舗あるらしい。 [*1 沙県小吃:「沙県」とは現在の福建省三明市に位置する地名。この地域で育まれたスナックを提供する店が2000年代後半から中国全土に出現し、こう呼ばれるようになった。地元では外で店を開くことを奨励するムードがあり、そのための講習会や講座も頻繁に開かれているという。] [*2 黄メン鶏:「メン」の漢字は、「火」偏に「悶」。山東省済南市を起源とした料理で、鶏のもも肉をピーマン、じゃがいも、しいたけなどで炊き、ご飯に載せて食べる。これもまた2000年代後半から各地で爆発的に店舗が展開されるようになった。] だが、そうしたラーメン屋の主人はほとんどが蘭州人ではなく、青海省の化隆の出身である。化隆は黄土高原と青蔵高原の境目に位置し、青海省海東市に属する回族(*3)自治県だ。地理や気候条件が悪いために、化隆の総人口の半分以上が貧困層に属する。化隆人は一時期、お金のために漢方薬剤の冬虫夏草を採掘したり、自然保護区のフフシルでチベットカモシカの密猟をしたり、銃器類を製造、販売したりするなどハイリスクな活動に手を染めてきた。それは1980年代に韓録という名の化隆出身者が福建省アモイにやってくるまで続いていた。 [*3 回族:中国の少数民族の一つで、人口はチワン族、満州族に次いで中国3位。ほとんどがムスリムだが漢族と混血の人たちのグループで、新疆ウイグル自治区のチュルク族などとは外見上大きく違う。そのため、回族の居住地区は中国各地に散らばっているが、寧夏回族自治区、甘粛省、青海省など西部地区には特に多い。] 海東市人民政府の公式サイトには「青海ラーメン人の夢が始まった場所」という記事が掲載されている。そこにはこう書かれている。 《1989年、化隆の山間で暮らしていた韓録は貧困から脱しようと、周囲からかき集めた7000元を持って、改革開放政策の最前線だったアモイ市にやってきてラーメン屋を開き、それが大当たりした……同年の純売上は5万元……それを聞いた化隆県の人たちは大湧きに湧き、ラーメン作りが得意な人たちはみんな落ち着いていられなくなってしまった……》 化隆の農民はそこから全国に飛び出して「ラーメン蓄財」を目指し始めた。違うのは、韓録が名乗ったのは「西北ラーメン」だったが、後になって進出した化隆人は西北ラーメン、青海ラーメンというネーミングがいまいちウケないことに気づき、ふと西北地区には「蘭州牛肉ラーメン」というよく知られた食べ物があるのを思いつき、そこから「蘭州ラーメン」という新しい概念をひねり出した。 化隆の公式統計によると、2018年までに人口わずか30万の化隆人が全国271都市で1万5000軒のラーメン屋を展開。ラーメンビジネスに関わる人の数は約12万人で、年間生産高は100億元(約1600億円)近い。 モハメド・イドリスもそのうちの1人だ。10歳のときから、兄弟姉妹とともに両親と一緒に青海省を離れてラーメンを打つようになった。これまで、彼の家族はあちこちで店を持ってきた。上海にも行ったし、深セン、陝西省、北京など。10数年経って「初代」の両親は年をとり、次第にラーメンの前線を撤退した。モハメドは結婚して子どもも生まれ、家業を引き継いでラーメン屋を支える「二代目」となった。 中国人民大学の東門を出て右手に沿って100メートルほど歩くと、サンドイッチ屋の横に「中国蘭州牛肉拉麺」という、黄色地に赤い8文字が並ぶ看板がある。それがモハメドの店舗である。入り口の幅は1メートルで、ぶら下がったすだれを繰って中に入ると、中は細く長くなっており、10卓ほどが並ぶ。15歳の男の子が店の中で注文を取っている。彼の名前は洪浩天といい、モハメドの義兄の甥っ子だという。まだ北京に来たばかりで、モハメドについてラーメン作りを学ぼうとしているところで、立派な「三代目」になることが期待されている。 2004年から2018年にかけて、モハメドの一家はあちこちを移り歩き、ラーメン屋を運営してきた。以下は、そのラーメン屋主のモハメド・イドリスのインタビュー記録である。 ●子どもや老人以外、若い人たちはみんな外に出た

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