「蟻の街のマリア」
今年最後の『きっこのメルマガ』第52号は、配信日がちょうど12月25日に当たりますので、この「前口上」では、クリスマスらしい話題を取り上げようと思います。
北原怜子(さとこ)は、昭和4年(1929年)、大学で経済学の教授をつとめていた北原金司の三女として、現在の東京都杉並区に生まれました。敗戦から5年後の昭和25年、怜子が21歳になった時、父の病気などの理由で、台東区浅草にあった姉の嫁ぎ先の履物屋に一家で転居します。そして、ここで聖フランシスコ修道会のゼノ修道士と知り合います。女学校時代に洗礼を受けた怜子がロザリオ(十字架)を身に付けていたのを見たゼノ修道士が、彼女に「あなたはクリスチャンなのですか?」と声を掛けたのがきっかけでした。
ゼノ修道士が上野や浅草の浮浪者の集落などをたびたび支援して来たこと、今は「蟻の町」と呼ばれるバタ屋の集落を支援し、そこに教会を造るために尽力していることなどを知った怜子は、自分にも何かできないかと考えます。そして、ゼノ修道士の口添えもあって、「蟻の街」で奉仕活動を始めたのです。
当事、隅田公園の中の言問橋(ことといばし)の近くに、数十世帯が暮らしているバタ屋の集落がありました。バタ屋とは、籠を背負ったりリヤカーを引いたりして、道端に落ちている紙屑や空缶などを拾い集め、それを換金して生活している貧しい人たちです。
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