【1. 今日の本題:ヒース・レイカー】
私が20代半ばまで住んでいたアパートの向かいの部屋に同年代のアメリカ人がいました。あることがきっかけで友達になり、二人で毎晩のように飲んでいました。
でも私が時々「今日は飲まない」と言うと、彼は「おう、そうか」と言うだけで気にせずに自分だけ飲んでいました。
たぶん全世界的にみて「他人が飲もうが飲むまいが、その人の自由である」という考え方がスタンダードだからではないでしょうか。
もしあなたに外国人の友人がいるとしたら、思い出してみてください。その彼(彼女)達は日本人のように飲みたくないといっている人に対して飲酒を強要していましたか?
例えば、過去に観た海外の映画やテレビドラマを思い出してみても、日本人のようにクダを巻いて「オレの酒が飲めね〜のか!」というような感じで飲酒を強要するシーンは思い出せないのですが、いかがでしょうか。
飲みたくないと言っている人に酒を飲ませても何も解決しません。「解決」とは、給料が上がるとか、筋力がアップするとか、健康診断の数値が良くなるとか、奥さんや子どもさんとの関係が良くなるとか、資格が取得できるとか・・・です。
飲酒を強要する人達には、「自由に生きる権利を与えられた個人が酒を断るということは、何か理由があるはずだ」という想像力が欠落しているとは思いませんか?
いくら友人・同僚・部下だといっても人それぞれの事情があるはずですから、まともな人間なら相手を気遣うべきだと思います。
・いつも酔っ払って帰ってくるので奥さんや子どもさんとの関係がまずくなっているから今日はシラフで帰りたい。
・今月は冠婚葬祭などで出費がかさんだので、遊興費にお金を使いたくない。
・健康診断の数値が悪かったので、アルコールを控えようと決めている。
・どうしても取得したい資格があるので、早く帰って勉強しなければならない。
・先週の飲み会で記憶を無くし、財布とスマホを無くしたので、もう酒はやめたいと思っている。
・事情があって転職したら給料が下がったので、出費がかさむ飲み会は避けようと思っている。
・健康のために帰宅後はジムに通い始めたので今日は飲みたくない。
・飲酒でたびたびトラブルを起こしてきたので、自分はもう酒を飲んではいけない人間だと思っている。
・明日は早起きしてやらなければならない事があるから、今夜は早く帰りたい。
・・・などなど、人それぞれ酒を飲みたくない理由はあると思います。
しかし私達日本人は、相手が飲酒を断る理由を一切考えずに、「付き合いが悪い」と避難する習性を持っています。
人生で大切な奥さんや子どもさんとの関係をまずくしてまで従わなければならない、その「付き合い」というもはそれほど大事なのでしょうか?
そして、もしその「付き合い」に付き合ったとして、あなたとあなたの家族の幸せが担保されるのでしょうか? むしろ逆ではありませんか?
たぶん、そのあたりのロジックの目的と手段がめちゃくちゃなので、外国人はアルコールを強要しないし、されたくないのだと思います。
「ワタシガ、コノサケヲノメバ、アナタハ、ワタシノサラリーヲアップシテクレマスカ?」
「それは、これからの君の働き方次第だよ」
「オー、ノー!、ファックユー!、サノバビッチ、アスホール、ガッデム!、マザーファッカー!、コックサッカー、キルユー!」
もし、ここがアメリカで彼が気の短いガンマニアだったら、人気(ひとけ)の無いところに連れていかれて射殺されるかもしれません。
そしてもし彼に腕のいい弁護士がついたら、「職務上の立場を利用して飲酒を強要したために離婚に至ったので精神的に追い詰められていた」という理由で無罪になるかもしれません。プライベートな時間帯に酒を強要するという文化がないからです。
もし私達が外国に生まれていれば、自分が断酒したいと決意したときにはこんなに苦労しなくても済むのではないでしょうか?
話を戻しますが・・・では、いったい何も解決しないのに、なぜ日本人は他人に酒を飲ませたがるのでしょうか?
どうやら私達日本人には他人の顔色を伺いながら生きているという民族性がありそうです。4時のメルマガではこのテーマに迫ってみたいと思います。
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