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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第371号2020.2.25配信分
●今から42年前、フリーランスの私は遊び人に類する変わり者と判断されていた
人には世代ごとに直面する”旬(しゅん)”があるようだ。私はあと一月で68歳と
なる。18歳で運転免許を取得して半世紀50年になるわけだが、それぞれ旬年(ディケ
ード=Decade)で括ると見えてくるものがある。
20歳(ハタチ)で志すきっかけとなる書籍(生沢徹の『デッドヒート』)に出会い、23
から26歳までの足掛け4年間モーターレーシングの熱病に冒され、自動車専門誌編集
者に出会う奇縁があって自動車ジャーナリズムへと進む道が開けた。時あたかも昭和
53年(1978年)であり、日本の自動車産業がオイルショックと厳しさを増した排出ガ
ス規制を克服して世界に羽ばたくきっかけを得たタイミングである。
自動車歴8年で当初は思いも寄らないフリーランスの自動車ライターとなる境遇を
得、10年後の1980年には活気づく自動車産業界の勢いに押されるように家庭を持つに
至った。一億総中流のサラリーマン社会にあって、フリーランスという生き方ははぐ
れ者でありクレジットカード一枚作れない信用のない存在だった。今風に言えば遊牧
民を語源とするノマド(Nomad)であり、多様な価値観が求められる変革の時代にはむ
しろ歓迎される生き方かもしれないが、サラリーマン経験なしの一匹狼が生き残れる
とは誰も思わなかったはずである。
免許取得が高度経済成長のピークとされる1970年であり、1980年はバブル崩壊によ
って奈落への転落を経験するまで"永遠の成長が信じられた"昭和の末年に訪れたディ
ケードの始まりとして記憶される。1990年に味わったバブル景気の絶頂から日本中が
盛大に凹んだ1980年代は世紀末を実感する変化に直面した。
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