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鬼滅の刃の完璧性と兵站の重要性

見ル野栄司のシブすぎ技術秘話
■ 2. ものづくり秘話 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 兵站の重要性 豊臣秀吉が毛利攻めの最中に本能寺の変が起こり、秀吉は 中国地方から驚くような速度で帰ってきた事変を 中国大返し といいますが、これはあまりにも早すぎということで疑問視 されていて相当全力で走った!というのが通説ですが 近年の歴史家の研究ではけっこう 楽勝で帰ってきた そうです。 なぜかというと、武将や雑兵たちはあの道を甲冑を脱いで 行軍したそうです。道具や甲冑は荷馬車的なものに乗せて 途中の城で休憩し、道も広く舗装されていたそうです。 そでもこれも信長が中国へ援軍として下ってくるための 準備ができていたからだそうです。秀吉はこの 兵站 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E7%AB%99 が綺麗にできていたのです。 兵站は戦における準備や物資の輸送を計画実行することで これができていることが勝利に直結すると言われています。 私の取材した ボーイスカウト もそのひとつで。これはイギリスの軍人が立ち上げた組織で あり、兵站をメインにした教育システムです。中には敵の 地形や状況を先に行って調べるスパイ的要因もあります。 基本である多くの種類がある縄の絞め方と地図の見方が 大変勉強になりました。 さらに都市伝説ですが、あのフリーメーソンとも繋がっていた のではないか? というものがありますが私はこれを直接 ボーイスカウト連盟の偉い人に聞いたことがあります。 その答えは たしかに日本で創立した時に場所が無くて東京タワーの地下の フリーメーソンの事務所を間借りしていた そうです(笑) この兵站をうまく使いこなした豊臣秀吉は戦が強いイメージが あるのですが、ほとんどは城を 力攻め していません。 だいたいが事前の兵站の準備があっての戦わずして勝つ がほとんどなのです。 豊臣秀吉はフリーメーソン

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