不安を抱えると、人は励ましてくれる。
一緒に頑張ろうと言ってくれる。
助けてくれるかもしれない。
だが、それこそがストレスになる人は実は多くいるはずで、
むしろ、「一致団結」とやらの言葉を使い、応援されることでさらにストレスを悪化させてしまうのでは?と私は考える。
「励まして、応援しよう!」と周りが扇動しようが、それらの行為を無抵抗に受け入れたり、同調する必要などない。
不安に打ちのめされた人間、あるいは不安の渦中にいる人は、気力を失っている。
気力がなければ、立ち上がることはできない。
つまり、多くの「応援」という行動は、当事者ではない立場の人の声である。
悪く言えば「対岸」から余裕に観察できる立ち位置にいる人、余力のある人が発しやすいのだ。
立ち上がれない人ではなく、多くは今立っている人が使う言葉なのだ。
だからこそ、他人の励ましが更なるストレスを産むのだ。
「どうせ、他人事なんだよね」と、確実にそこに格差という線が生まれてしまう。
応援され、励まされる側と、応援する側、励ます側の境界線がよりはっきりと浮かび上がる。
そして、その格差は、「妬み」という湾曲した感情に現れることがあり、またそういう感情を抱いた自分に
罪悪感や自己嫌悪という新しいストレスを作ってしまうのだ。
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