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死んでも書きたい話 「不要不急」で「不健康」なことこそ人生の喜び

安田純平の死んでも書きたい話
たいへんご無沙汰してしまいました。 今回は、日記の2015年11月19日から23日までです。 拘束中でも最悪のミスを犯した場面であり、日記を読むだけで当時の精神状態に引き戻され、これ以外の様々な場面が思い浮かんで「あのときこうしていれば」と考え続けてしまう。どうにも筆が進まない状態でした。あまり気分的にすぐれない日々が続いているのですが、新型コロナウイルスではなく嫌な過去が蘇ってくることのストレスによるものと思われます。 新型コロナウイルスの感染が広がっています。私自身には感染が疑われるような兆候はありませんが、知らぬ間に感染している可能性はありますので極力人には会わず、外出もひかえている状況です。同様の状況の人がほとんどでしょうから、移動の自由を奪われることがの苦しさを多くの人が共有していることと思います。 「不要不急」の外出は控えるのが感染を防ぐ基本動作になるわけですが、「不要不急」とされるものこそ実は生活を豊かにしてくれるものです。喫煙や飲酒は感染した場合の重篤化のリスクを高めるとも言われていますが、そうした「不健康」な行為にこそ得てして人生の楽しみや喜びがあるものです。 「不要不急」で「不健康」なことをしても生きていける社会であるということは、社会が豊かであるというひとつの証であると思っています。感染を防ぐことは第一に重要なことですが、そのうえで「不要不急」で「不健康」なことをいかにこれからもやっていけるか、その欲求と工夫と努力をやめるべきではないです。 ちなみに私は超嫌煙家ですが、副流煙を浴びさせられることを嫌っているだけで、他の人が吸うことについてはまったく気にしていません。喫煙に限らずやりたいことをできる自由があるということが重要であり、他の人の自由を犯すことがない限りは最大限尊重されるべきものという認識です。 安全のため、と考えるとさまざまな制約を受け入れざるを得ない気になってきますが、安全とは豊かな暮らしをしていくために必要なのであって、豊かな社会でなくなってしまったら本末転倒になってしまいます。 まだ実態の分からない感染症は恐ろしいものではありますが、恐怖に駆られると冷静な判断はできなくなります。そうしたときにこそ、人生の楽しみとはなんであったのかを考えるようにしたい、というのは3年4カ月の間に得た教訓でもあったな、と改めて振り返っているところです。 では本編の日記に入ります。

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  • ジャーナリスト安田純平が現場で見たり聞いたりした話を書いていきます。まずは、シリアで人質にされていた3年4カ月間やその後のことを、獄中でしたためた日記などをもとに綴っていきます。
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