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「ペルシア、ギリシア、そしてユダヤの歴史叙述」(後半)

BHのココロ
  • 2020/05/02
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今回は前回にひきつづき、「ペルシア。ギリシア、そしてユダヤの歴史叙述」の後半をお送りします。 第六節 ユダヤの歴史家とギリシアの歴史家との差異  つぎの問いは、ユダヤとギリシアの歴史家のあいだにある主要な差異はなにかという点だ。もちろんギリシアの歴史家たちもたがいに異なる。しかしどの歴史家も自身が重要だと考えた特定の主題について議論しており、利用するべき証拠の信頼性に関心をいだいていた。彼らはけっして、世界の始原から歴史をすべて語りつくそうとはしなかったし、「探究」historia なしに物語を語れるとは思ってもいなかった。どの歴史家も、自分が伝えようとしている内容の質的な意義に関心をいだいていたのだ。  歴史家の任務とは、過去の重要な事象についての記憶を保存し、信頼できる事実を人々が興味をもつように提示することにある。主題の選択および根拠の検討は、歴史家自身の知的な誠実さをふくめ、さまざまな要因にかかっている。  注意ぶかい探究者を自称するクテシアスも、じつは嘘つきだった。しかしここで重要なのは、尊敬を獲得するためには自身が信頼にたる探究者だと彼が主張しなければいけなかった点だ。そこには大事な含意がある。クテシアスはいつも、自身の伝える過去の事象が未来となんらかの関わりをもつと考えていた。ある事象が読者になんの教訓もあたえないのなら、それはもはや意味をもたないだろう。出来事について語るとは、世事について模範を示し、警告を与え、それが将来たどるだろう展開を提示することにある。  しかし出来事はかならず一定の間隔で繰りかえされるという考えを、ギリシアの歴史家たちが保持していた証拠はない。彼らは円環的な時間の観念をもっていたという指摘がしばしばなされるが、それは近代における創案だ。歴史的な事象に円環をあてはめたギリシアの歴史家はポリュビオス一人だけであり、その彼もこの考えを政体の展開について部分的に適用しただけだった。 一般的な軍事や政治については循環の外側におかれ、政体の循環についても、現代の解釈者たちが指摘するような厳密さや一貫性はまったくない。

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