「リアリティー・ショー破綻、その構造とは?」
リアリティーショーというジャンルのTV番組があります。勿論、リアル
でも何でもなくてコンセプトが最初に設計され、ラフなストーリーも設定さ
れる場合がほとんどです。目的は、フィクションとしての仕上がりではなく、
限りなくリアルと見間違うような演出効果ですが、そのために演技者には無
名の人材が起用されたり、自発的なアドリブで演じられるように誘導するな
どの演出がされます。
ただ、多くの場合は放送作家が収録に同行して、要所要所では適切なセリ
フを投げ入れますし、演出家の介入もしっかり行われます。反対にそうした
作為がなければ、番組としてスムーズに視聴できるような仕上がりは難しい
ことになります。
但し、こうしたリアリティ・ショーには大きな弊害があります。まず視聴
者に対しては、とにかく現実と虚構を混同するように誘導する、これが番組
制作の最大の目的になっています。現実と虚構の「せめぎ合い」に面白さが
あるというのは、一部の「ひねくれた通」の見方であって、コアの視聴者層
に対してはほぼ100%がリアルだという錯覚を生じさせる、それがCM販
売の場合は広告主の、有料視聴の場合は配信サイドの目的になります。
一方で、出演者の側ですが、訓練されたプロの俳優が完成された台本で虚
構を演じる場合とは、全く異なります。表面的には、ラフなストーリーを与
えられ、断片的な演出を施されるだけで、セリフや演技指導のない部分は、
自発的な演技で補っているわけです。ですが、その自発的な演技の部分につ
いては、「素の自分」でやっているような錯覚があり、その錯覚を持たされ
たまま収録に参加するわけです。
何が問題かというと、まず出演者の側については、自分の演技技術でパフ
ォーマンスを行い、その対価としての報酬を得るというスキームにはなって
いません。素の自分で対応できる部分があることと、自身が無名で演技者と
して訓練を受けていないということから、極端に低額な報酬に甘んじさせら
れるということが1つあります。
もう1つは、仮想の空間で演技をしているうちに「素の自分を出してい
る」という錯覚に陥るということです。視聴者の方が虚構と現実を混同させ
られている一方で、演技者の方も100%虚構であるにも関わらず、どこか
「中の人」が「にじみ出ている」感じになってしまうのです。
この構造がある中で、例えばヒール役の人の悪態の演技が「大成功」とな
って、広告主や配信元の思惑通り、視聴者が「演技なのに悪態を現実と思っ
て憎悪感情を増幅させる」ことになると、それを「役柄=中の人」と間違え
て攻撃してくるということになります。SNS時代の現在であれば、それは
そうなるでしょう。
これが完全なフィクションとプロの役者なら、中の人も含めて大成功と喜
ぶところですが、リアリティーショーの場合はそうはなりません。
先ほどお話ししたように、中の人も「半分は素の自分かも」と思い込まさ
れて演技をしているわけで、そこへ暴力的な批判が殺到すると、そのままで
は受け止めきれないということになります・・・
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