■生きづらさの正体
生きづらさを感じる人は、時代の風潮から考え方や生活様式の影響
を受け過ぎている人だ。世間に流されがちな人は、時代からの影響
を受けやすい。その分、悩みや苦み、迷いが強くなる。
自分の考え方が時代の風潮からはみ出していることに気づくと、自
分だけが社会からつまはじきにされているかのように感じる。ただ
仲間はずれにされたくないという恐怖心から疎外感を感じるのだ。
時代の影響は、礼儀やマナー、倫理観、規則等として現れる。権力
者が統治のために秩序を好めば、男尊女卑や、長幼の序、出自の尊
卑などの形になる。これが差別や偏見を生む。
これは、会社や家庭などの小さなグループの場合であっても、なん
らかの権力が支配する場所では同じだ。このことに気づき始めると、
社会に対して息苦しさや嘘くささを感じるのだ。
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だが、多くの言葉は意味が曖昧だ。各人が当てずっぽうに理解して
いる。特に、幸福、正義、常識、裕福、年相応、普通などの言葉は、
意味内容が定まっていない。使う人や、時代によって意味が異なる。
意味の違う言葉を、人それぞれが使うから、溝が深まる。若い人と
老人とでは、話を詰めていくほど噛み合わなくなる。いわゆる世代
間のギャップだ。
世間の考え方は、事実を表していない。周囲の人々が気軽に口にし
ているうちに、それが常識になり、真理のように広まり、やがて固
定観念になっていく。
そこから逸脱する行動を取り、思想を持つと、変わり者、秩序を乱
す人間の烙印を押される。そして、排斥され、差別される。だから、
世間の考えを頭から信じるようになるのだ。
一方、世間の考え方は、人間を道具のように見なしたり、道具や役
割として扱うようにしがちだ。その結果、自分が本来の自分でない
ような不快さを感じるようになるのだ。これが生きづらさの正体だ。
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こうした不全感から脱するには、自分の感性と能力を使うことだ。
改めて特別なことをする必要はない。素直に、触れ、感じ、受け止
めるだけでいい。
しかし、多くの人は物事の前で立ちどまり「今までのやり方では合
わない」と思い、手をつけようとしない。あるいは、周囲を伺った
り、やり方を誰かに尋ねたりする。そういう態度は改めるべきだ。
とにかく、自分と世界の間に何か挟まっていてはだめだ。何かが間
に挟まっていると、結局今までと同じ状態だ。不全感から脱しきれ
ない。
一般に、自分と世界の間に挟まっているものは後天的に与えられた
ものだ。たとえば、学校や親から教わった考え方や価値判断などだ。
その他、欲望や外部からの価値観、損得勘定、社会の慣行などだ。
それらを無視して、素の自分で世界を感じることだ。その時、生の
喜びが新鮮にはじけだすはずだ。手袋を脱いで子猫を触れば、特徴
や生命の存在を即座に感じ取ることができる。それと同じことだ。
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能力は、自分の関心がおもむくまま、自由に体を動かす時に生まれ、
育ち、洗練される。何かの意図や目的が最初にあり、それに見合っ
た特定の能力を育てようとしても、能力は育たないものだ。
むしろ「能力を育てよう」という意識など持たないことだ。そのほ
うが、能力は素直に育ち、大きくなる。実際、子どもは遊ぶことで
自然に能力を育てている。
能力が育つ時には解放感が伴う。なぜなら、自分の感性や能力を外
からの干渉や妨げなく使うことが本来の喜びだからだ。これこそ自
分に体と心を開くことだ。いわば、一種の覚醒だ。
社会は、個々人の能力を理解出来ない。社会や教育機関が認める能
力だけが、自分の脳力ではないのだ。むしろ、彼らの濁った目には
映らない能力こそ、自分の日々の生活を成り立たせるのだ。
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