【ちむがなさ】
琉球の魂(ココロ)というのは、このちむがなさの事です。
ちむがなさとは、琉球特有の言葉であり日本語で言い現すことはできません。
ちむとは、肝の事です。
日本語では、肝に銘じてという言葉があります。
これは、体の大切な部分にしっかりと刻み込んでぜったいに忘れないようにするという意味で使われています。
かなさとは、悲しいという意味ではありません。
悲しいという強烈な感情と同じくらい、愛おしいという意味なのです。
大切な肝に刻み込んだ愛おしい想い
という意味合いですが、言葉の波動でいうと、『ちむがなさ』 というほうが痛烈な想いが伝わってくるのは、沖縄の人だけでしょうか?
さて、2億年前のみるくぬゆー(弥勒の世)の時代にはどうだったのでしょうか?
みるくぬゆーの時代というのは、別々の存在という認識ではなく、全てが繋がっているという認識です。
人間同士だけではなく、植物や動物、石ころや水、雲や太陽までが同じ身体の一部というような感覚でした。
物理的に離れていても、全てが自分の身体なのです。
鼻と足は離れていても、同じ自分の身体です。
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