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【Vol.333】冷泉彰彦のプリンストン通信

冷泉彰彦のプリンストン通信
「敵基地攻撃論を考える」  20世紀以降の戦争においては、基本的に先制攻撃というのはコストが高 くつくということになっています。反対に言えば、19世紀までの戦争にお いては、明らかに軍事的優越という状況がある中で、他国への侵攻ないし、 自国の防衛のために先制するという戦術は成り立っていました。  場合にもよりますが、堂々と先制攻撃して敵を圧倒するという戦術にして も、劣勢を挽回するためにコソコソと奇襲を行う戦術にしても、どちらも戦 争を覚悟する中では特にコストが高いわけではなく、十分に選択肢として考 慮されたのです。  ではどうして20世紀以降はコストが高くなったのかというと、3つの理 由があります。1つは、兵器の技術革新により大量殺戮が可能となる中で、 19世紀までは人類社会において必要悪とされていた戦争による死というも のが、倫理的により敵視されるようになったという点があります。いわゆる 反戦思想、厭戦思想、平和思想というものが一般的になると同時に、戦争イ コール悪ということが政治的なタテマエとしても成立したということです。  2つ目には、メディアの発達です。19世紀までであれば隠蔽が可能であ った大量殺戮が、いとも簡単に写真と文章で数日内に世界中に伝達されるよ うになりました。戦争に対する嫌悪感という漠然とした感情が人類を支配す る中で、攻撃の事実が簡単に伝達されるということは、先制攻撃イコール開 戦責任というイメージで、まず開戦の時点でマイナスイメージを背負うこと になったのです。  3つ目は国際的な平和維持組織の存在です。20世紀初頭の国際連盟とい うのは十分に機能することはありませんでしたが、第二次大戦後に発足した 国際連合というのは、曲がりなりにも戦争行為を厳しく規制する体制を構築 しています。その結果として現在、戦争を合法化する、つまり戦時国際法の 適用を受けて戦闘行為を行うには、国連安保理の承認を必要とします。反対 に国連を無視して先制攻撃を行えば、国連全体を敵に回すことになりかねま せん。  つまり、21世紀の国際社会において、先制攻撃を行うというのは、下手 をすると「開戦責任という重罪」という汚名を着せられ、同盟国の援助は難 しくなり、国際世論の支持も遠ざかるということで、大きなコストを払わさ れることになります。(続く)

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  • アメリカ北東部のプリンストンからの「定点観測」です。テーマは2つ、 「アメリカでの文脈」をお伝えする。 「日本を少し離れて」見つめる。 この2つを内に秘めながら、政治経済からエンタメ、スポーツ、コミュニケーション論まで多角的な情報をお届けします。 定点観測を名乗る以上、できるだけブレのないディスカッションを続けていきたいと考えます。そのためにも、私に質問のある方はメルマガに記載のアドレスにご返信ください。メルマガ内公開でお答えしてゆきます。但し、必ずしも全ての質問に答えられるわけではありませんのでご了承ください。
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