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言いすぎか!! 弁護士 北村晴男 本音を語る Vol.97

言いすぎか!! 弁護士 北村晴男 本音を語る
━=━=━=━=━=━=━=━= 言いすぎか!! 弁護士北村晴男 本音を語る ━=━=━=━=━=━=━=━= Vol.97 2020.7.15 ■□■…………………………………… 目次 ……………………………………■□■  【1】 『習近平の失政による         国内不満をかわす国外侵攻』  【2】 『北村晴男の"素"』  【3】 『番組出演予定       イベント情報』 ……………………………………………   6月15日、中国とインドの国境付近で両軍が衝突。両軍合わせて60人以上の死傷者が出る軍事衝突が起こった。 インドでは、その模様が大きく報じられており、インド政府は、「インド側は20人が殉職、中国側は少なくともその倍の40人の犠牲者が出たはず」と発表。一方の中国はインド側と衝突があったことは小さく報じたが、死傷者などの詳細は明らかにしていない。  :  : なぜ中国は、この時期にインドに仕掛けたのか。  :  : 1962年の中国とインドとの国境紛争は、歴史的な見方としては以下のとおり。 当初、1949年に建国した中華人民共和国と1947年に独立したインドはとても関係が良く、ネルー首相と周恩来首相は、(領土主権の尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和共存の5つからなる)「平和五原則」を掲げた。 ところが1950年、中華人民共和国がチベットに侵攻した結果、1956年にチベット動乱が起き、1959年、ダライ・ラマ14世のチベット亡命政府がインドに誕生した。「インドが亡命を受け入れたことに中国が怒り、戦争を仕掛けた」という見方が一般的。 どんな国家でも、特に近隣の諸国とはさまざまな問題を抱えている。だが、問題を抱えているからといっても、ほとんどの場合、軍事侵攻はしない。 矢板氏の見方は、「ダライ・ラマ14世の亡命は背景にあったかもしれないが、真の理由は、中国国内の失政にある」とする。 ダライ・ラマ14世の亡命をインドが受け入れたという程度では、戦争を起こす合理的な理由はない。 1962年の国境紛争は、「毛沢東の『大躍進政策』の失敗によるもの」だと分析。わたしは、たいへん説得力があると思う。  :  : マンガのような 毛沢東の「大躍進政策」 毛沢東の世紀の大失策と言われる「大躍進政策」とは、1958年から61年にかけて施行された農業と工業の大増産政策。 当時は中ソ対立が起きており、ソ連のフルシチョフ第一書記が「15年で工業生産でも農業生産でもアメリカを追い越す」と宣言。それを聞いた毛沢東主席は「中国も世界第2位のイギリスを15年で追い越す」と宣言をして始めたのがこの大躍進政策。まるで子供のケンカ。 この大躍進政策の内容は小学生のマンガだ。  :  : トップがバカだとどういうことになるか。一般には、バカなトップはみんなに批判されて失脚するが、恐怖政治の下(もと)では、誰も文句を言えないので、国そのものが自滅していくことになる。 これが、1958年から1961年までの4年間、毛沢東が行った「大躍進政策」だ。そして、インドとの国境紛争は1962年に起きている。 毛沢東が突然、軍を動かしてインドを攻めた。そのときのインド軍はたいへん弱く、中国が圧勝したために毛沢東は国内の強い反発を少しかわすことができた。毛沢東というのは、天才的な戦略家ではあったが、他方でどうしようもない愚か者でもあったということが分る。  

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