■ユダヤ流生き方の極意
日本を覆い、誰もがその存在すら疑わない当然の前提が抜きさられ、
否定し、取り払われた。コロナ禍だ。私たちが生きる哲学的ヒント
を、ユダヤの歴史から学ぶべきだ。
ユダヤでは、金銭的・物質的に満たされることと幸福は関係ないと
教えられる。幸福とは「幸福感」のことだ。人が不幸と思っている
ことでも幸福感を感じる人はいる。要は心の問題だ。
人が幸福感を感じるには、9つのことを実行することだ。まず「人
を褒めること」だ。人に認められ、褒められることほど、その人に
幸福感を与えることはない。
であれば、褒められることを待つのではなく、自ら人を褒めてみる
ことだ。少なくともその人に幸福感を与えることはできる。人に幸
福感を与えることこそは、自分に幸福をもたらす善行なのだ。
2つ目は、家族との時間を持つことだ。ユダヤでは、週1回、強制
的に何ものにも邪魔されない家族との時間を持つことを戒律として
いる。その時間は、電話も、テレビも、仕事も禁止されている。
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3つ目は、自分がなぜ生まれてきたかを考えることだ。それを問い
続けることが幸福感につながる。物を持つ、出世する、金を儲ける、
学業を達成することで得られる幸せなどとはまったく別のものだ。
良い会社に入社することが、この世に自分が生まれてきた目的では
ないはずだ。そのことを考え続ければ、今の恵まれない状況を「不
幸だ」などと考えることはなくなるはずだ。
4つ目は、この世に生まれてきた目的に近づくための一歩一歩を毎
日習慣として行うことだ。ユダヤ教の戒律では「ミツボ」というも
のがある。
これは、身寄りのない高齢者の世話をするとか、病人を看病すると
か、様々な善行を行うことだ。ミツボを行うことこそ、自分がこの
世に生まれてきた目的・実施の日常的具体化だとユダヤ教は説く。
★
5つ目は、ダイエットすることだ。体重ではない。感情・魂のダイ
エットだ。体重が重く太っていると身体に負担になる。同様に魂、
感情、精神も、余計なものを乗せていると負担になる。
負担感があると不幸感を持つ。つまり、幸福感はなくなる。余計な
ものとは、自分にとって気持ちの上で負担と感じる感情のことだ。
これを取り除くのだ。
一カ所に留まらないことだ。病気になった時には、転地療法という
治療法がある。気持ちのよい温泉にでも入るために場所を変えるこ
とだ。
同じように、魂にも転地療法するべきだ。たとえば「新しい人と付
き合う」「まったく別の趣味を始めてみる」「新しい分野の勉強を
始める」「触れたことのない楽器を習ってみる」などだ。
★
しゃべるよりも聞くことだ。幸福感は「しゃべる」よりも「聞く」
ことからもたらされる。人の話を聞くことは「相手の存在を認める」
「相手に心を開いている」「相手を尊重する」ことだ。
逆に、相手の話を聞かないことは、「その人の存在を無視すること」
「その人に心を閉ざしていること」「その人を軽視していること」
につながる。
魂をあらゆる騒音から遮断する1日を持つことだ。幸福感とは、息
と同じだ。「吸い込み」と「吐き出し」の両方がないと流れない。
吸う時「吸うだけやれ」と言われたら死んでしまう。
人間が生んだテクノロジーに振り回される日常を送っている。それ
は、吸うことのみを強要されているようなものだ。どこかで吐く必
要があるのだ。
最後に、不運が襲ってきても、その不運を幸福感の持てる他のもの
に作り変えられるまでバトルすることだ。不幸の犠牲者になること
を拒否し、戦い続ければ、必ず光が生み出されるくるものなのだ。
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