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【死んでも書きたい話】 「通訳が死んだ」の知らせに動揺する

安田純平の死んでも書きたい話
今回は2015年12月25・26日の日記です。 注釈が多く、文字数制限があるので2日分です。 よろしくお願いいたします。 【2015年12月25日(金曜日)】=拘束181日目 23:00頃停電した昨夜、トイレに自称イエメン人アブドゥル。その時間でも「急げ」という。小走りで行き来する。「何かいるものあるか」のようなことを聞かれたが、無言で手を振った。もう話する気も起きない。 ヌスラと報道で流されたのは影響しそうだし、身代金要求と流されると入り直しはかなり叩かれるだろう。日本が払わない決定してても。しかし入り直さなければもう来れないだろう。トルコきただけで家族が責められる。どっちにしても叩かれるし、二度と来れなくなる。帰ったところでもう来れないし、叩かれるなら自分で納得するようにして叩かれた方がマシだし、それでもう続けられなくなったとしても、帰ったところで同じだし、屈服して負け犬人生になるより納得感ある。それで引退でも本望だろう。どちらに転んでも引退の可能性大。まあオレ次第だが。 身代金の話が出回ったことが、入り直し後の安全にどう影響するか。しかし身代金の話はどこで確認したのか。ヌスラならそうだろう、と根拠なく書いた?長文なのにテレビは要約だけで詳細さっぱり分からず。アハラルが話した?とするとこの場所を特定していると知っているということに。ムーサが勝手にヌスラと言ったらアハラルのメンバーが捕まっているのに大丈夫なのか?そもそもあれはアハラルではない?分からないことだらけ。ムーサに聞けばかなり分かるだろうが、アハラルに確認するのに時間かかりそうな気も。とりあえずムーサはトルコにいそうなので、年内解放なら一緒に入れるか?それなら環境は今が最適ということに。 ※この時点では拘束中にムーサがどのような対応をしていたか知らず、拘束は完全に私のミスによるものと考えていたので、誰にも知られずに解放されるなら再びムーサのアレンジでシリア入りをやり直せると思っていた。 アハラル・シャムの受け入れをまとめたガイドのムーサが拘束者の一味である、という人もいる。救出のための努力をしていなかった、言うことがコロコロ変わっていて信用できない、ということだが、後から考えても今回の拘束は私の当日の入り方のミスから始まっている。最初から騙すつもりならシリアまで誰かが私と一緒に入るべきであり、突然現れた別のシリア人と私が入ることを期待するという不確実な方法を仕込むとは思えない。 ムーサが受け入れ体制を用意したアハラル・シャムが、ムーサが用意したとおりに入った私を拘束したということならば、拘束相手も分かっているしムーサにも働きかけのしようもあるだろう。しかし今回は、ムーサ側から見ればいつの間にか私がいなくなった、という状況なので、何をどう調べていいか分からない状態だっただろう。私が自分の意志で違う場所へ行ったかもしれないし(実際そうだった)、ムーサはそもそも私が拘束されたとは本気で思っていなかったかもしれない。 シリアの武装組織に関わるのは命がけであること、ちょっとしたことで自分までアハラル・シャムからもヌスラからも疑われかねないということを考えると、そうした危険を犯してまで救出に奔走することを期待するのは難しいと私は思っている。保身に走って、取材に来た記者に話をごまかしたとしても、「人間なんてそんなもの」くらいに受け止める。再び何かを頼むかどうかは別として。 命の危険はほとんどない日本ですら、少しでも面倒になりそうだと思えば知らないふりしてハシゴを外したり、ごまかしたりする人も少なくない。容易に死に直結するシリアで、命の危険を犯してまで日本人を探してくれるかどうかを事前に見極めてガイドを頼むことなど、その人が以前にもそうした行動をしたことがあるという実績でもない限り、相当難しいと思う。そして、それほどの人は地球上を見渡しても恐らくほとんどいない。

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  • ジャーナリスト安田純平が現場で見たり聞いたりした話を書いていきます。まずは、シリアで人質にされていた3年4カ月間やその後のことを、獄中でしたためた日記などをもとに綴っていきます。
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