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第607回 ファティマでなにが本当に起こったのか?預言は存在しなかった?
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▼今回の記事
今回は掲載できていなかった「ファティマの奇跡」の真実に関するドキュメンタリーの内容を詳しく紹介する。記事が長くなるので、今回はこれに専念することにした。そこで、通常のメインテーマである国際情勢の分析はお休みする。いま中国の情勢について詳しく調べている。これは次回に書くことにする。
●現地調査で撮られたドキュメンタリー
少し細かくなったが、これがいわゆる「ファテイマの奇跡」とされている出来事、及びそれに伴い与えられた預言の全体像である。いまファテイマは、カトリックの重要な聖地のひとつになっており、毎年膨大な人々が「ファテイマの奇跡」を記念して建立された「ファテイマ大聖堂」に巡礼している。
そのような「ファテイマの奇跡」だが、ファティマの聖母と奇跡を長年調査し、ベストセラー作家でもあるLAマズーリという人物が、ポルトガルのファテイマまで赴き、綿密な調査と関係者のインタビューによる2巻のドキュメンタリーを製作した。そこにはファテイマでなにが起こったのか、詳細な事実が述べられていた。以下にドキュメンタリーの要点を項目別にまとめる。
●非公開の資料
・いわゆる「ファティマの奇跡」と呼ばれる出来事は膨大な数の人々によって目撃されている。そのため、多くの証言や文書記録が残されている。だがそれらは「ファテイマ大聖堂」に付属する公文書館に保管されており、非公開になっている。記録を見るには特別の許可が必要だ。
・1978年に変化が起こった。フィナ・ディ・アルマタという研究者が、研究資金の申請を行ったのである。この研究は、1910年から1923年までの期間におけるポルトガル女性の役割をテーマにしたものだった。この申請を行うためには研究資料の提示が必要だったので、「ファテイマ大聖堂」の公文書館に文書を観閲する許可を求めた。公文書館はリクエストを受け入れ、非公開となっている当時の文書をディ・アルマタが観閲する許可を与えた。
・しかしディ・アルマタは、この機会を利用して、「ファティマの奇跡」に関する記録や証言を収集した。
・文書の観閲は1日半しか許されず、コピーも写真も許されなかった。そこでディ・アルマタは、テープレコーダーを持ち込み、記録文書をすべて読み上げて録音した。これらの記録に基づき、後にディ・アルマタは「ファティマの奇跡」に関する44冊の本を著した。残念ながらディ・アルマタは、2014年にこの世を去っている。
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