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【Vol.345】冷泉彰彦のプリンストン通信

冷泉彰彦のプリンストン通信
「スティーブ・ジョブズの新版画趣味を喜ぶな!」  NHKの「ニュースウォッチ9」でアップル創業者のスティーブ・ジョブ ズが、日本の「新版画」のコレクターだったというエピソードを時間を割い てやっていました。  これは結構有名な話で、例えば1984年に「初代マッキントッシュ」を 発表したプレゼンの際に自分の持っていた「新版画」の映像をデジタル化し て映写したという話が伝わっています。  この「新版画」というのは、明治末年から大正にかけて流行した、日本の 版画です。江戸期の北斎などの延長で、より写実性を高めつつ、彩色につい ては近代的な感覚を併せ持った細密画的な様式美がウリの美術ジャンルで、 橋口五葉とか川瀬巴水といった作家が代表とされています。  個人的には、明治期の開化絵、特に清親などの方が芸術性は高いと思いま すし、芸術性ということでは、日本画の良いもののには敵わないと思います。 ただ、ジョブズが様式美ということで、巴水などに惚れ込んだのは分からな いでもありません。いい趣味だとは思いますし、ジョブズのような人は、例 えば清親の「浅草田甫太郎稲荷」 https://600dpi.net/kobayashi-kiyochika-0000964/ とか玉堂の「彩雨」 http://www.seibidou.com/souko_shop/menu1/kaiga/ 17121818335500 とかも気に入ったのではないかと思います。  個人的には、玉堂の「彩雨」というのは、日本に住む人間のセルフイメー ジとしての原風景を、その停滞感の恐ろしさまで描き出してしまった凄い作 品と思いますが、それはまあ雑談ということで。  問題は、ジョブズが愛した「新版画」とか、あるいはジョブズが日本の手 裏剣のコレクターだったというエピソードを持ってきて、日本のカルチャー って凄いという話にするという思考回路です。  例えばですが、清親の前に国芳とかを置いてもいいわけですが、その流れ で大正の新版画があり、それとは別の強い流れとして日本画の伝統があり、 それもまた様式美を作っていったわけです。そこにあるのは、2つの要素で す。  それは「異文化を取り込んで自己革新を行う」と同時に、「自己変革を厭 わず、その延長で強固な様式美を作り上げる」という2点です。この2つは 一連の動きとしてまとめても良いかもしれません。つまり、 「異文化を取り込み、自己を革新し、普遍的な様式美へと高める」  という精神の動きです。このメカニズムが大事であって、例えばですが、 遣唐使の時代から日本はずっとそのメカニズムを回してきたわけです。勿論、 平安の準鎖国があり、江戸期の鎖国もあったわけで、その期間はひたすら様 式美に突き進んだだけだったかもしれません。ですが、大きな歴史の流れと しては、その停滞もダイナミズムの1つとして消化しながら、とにかく日本 の文化というのは、強い様式美を求めて躍動してきたのです。  その躍動のエネルギーがもしかしたら枯渇しているのではないか、それを 考えると恐ろしくなります。ジョブズは、ソニーのビデオカメラを偏愛と言 っていいぐらいに愛玩し、使い倒したそうです。ですが、スマホやタブレッ トに動画撮影機能を付加することで、民生用のビデオカメラという市場を潰 してしまったのも、そのジョブズでした。  ソニーのビデオカメラを製品として偏愛したにも拘らず、晩年のジョブズ は、日本のエレクトロニクス産業のことを、海岸に打ち上げられたクジラの 死骸だと言っていました。  その指摘は、決して看過してはなりません。悪意や差別だとして反論せよ というのではないのです。悔しいと思わなくてはならないのです。どうして、 動画が撮影できて、音楽が再生できてポケットに入る電話兼コンピュータな どという、20世紀の日本なら世界で最も得意としていたジャンルの産業で、 おめおめと部品供給をして食いつなぐだけの哀れな存在に成り下がったのか、 それを悔しいと思うところから始めなくてはなりません。  ジョブズが新版画を偏愛していたという事実は、日本が千年以上にわたっ て得意としてきたい文化の吸収と融合を通じて実現してきた「強烈な様式美 へのこだわり」という文化を、この一人の天才に根こそぎ奪われたことを意 味します。悔しいと思うのが当たり前ではないかと思うのです。

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  • アメリカ北東部のプリンストンからの「定点観測」です。テーマは2つ、 「アメリカでの文脈」をお伝えする。 「日本を少し離れて」見つめる。 この2つを内に秘めながら、政治経済からエンタメ、スポーツ、コミュニケーション論まで多角的な情報をお届けします。 定点観測を名乗る以上、できるだけブレのないディスカッションを続けていきたいと考えます。そのためにも、私に質問のある方はメルマガに記載のアドレスにご返信ください。メルマガ内公開でお答えしてゆきます。但し、必ずしも全ての質問に答えられるわけではありませんのでご了承ください。
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