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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第400号2020.10.6配信分
●70年近く生きて見えてきたこと
すべては都市化とそれに伴う人口の集中と人の営みがもたらす環境(汚染)
問題に始まっている。私は神奈川県川崎市で育った。いつからという明確な記
録(記憶)はないが昭和30年1955年には戸籍として残る高津区千年新町51番地
(現在同地は市営の高層集合住宅の敷地となっていて現存しない)に区画され
た土地付き一戸建て市営住宅に移り住んでいたと思う。
今から60年以上という遠い過去の話であり、現在の風景に昔日の面影はない。
武蔵野の南西端多摩丘陵のはずれに位置する周囲は田園地帯の風情であり、小
学校の高学年になる1960年代初頭までは道路のほとんどが未舗装のままだった。
川崎市の統計書によれば、データに残る1953年(昭和28年)の市の総人口は41
万3946人。私が成人する20年後の1972年(昭和47年)には97万914人と倍増以
上に膨れ上がり、直近のデータでは2018年(平成30年)に私の幼少期の3倍以
上となる146万1757人に達している。
基本的な地形や幹線道路の構図は昔のままだが、一面の田圃は埋め立てられ
宅地化が進み、幼少期5km以上彼方を走る南武線が見渡せた地平にはびっしり
と住宅が埋めつくすようになった。武蔵野の面影が残る雑木林の丘陵から探検
に明け暮れた無垢の自然が消滅して久しい。
川崎市中部は都市といえるほど機能的なまとまりはないが、インフラや公共
交通機関に不自由することはなく、パーソナルモビリティツールとしてのクル
マを所有しなくても別段生活には困らない。私は幸運にも18歳で運転免許を取
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