■大愚和尚の答え
悩みを抱えている人は少なくない。漠然とイた停滞感を抱えている
人もいる。もしそうなら、一つだけ断言できることがある。それは、
今までのやり方を続けていても、何も変わらないということだ。
たとえるなら、壁にぶつかって外に出られないハエのような状態だ。
「このやり方しかない」と一所懸命ガラスに突進し、何度も頭をぶ
つけて泣いている、出ることに頭が一杯で周りが見えていないのだ。
だが、朗報がある。窓は開いている。しかも、そこからほんの五セ
ンチの所に空いている。目の前に出口があるのに、本人には見えて
いないのだ。少しずれたり、後ろに下がれば出口が見つかるはずだ。
ところが、うまくいっていないやり方から離れられないと、いつま
でも出口に気づけない。「こうでなくてはいけない」という思い込
みが強過ぎるのだ。その思い込みが「生きづらさ」を作るのだ。
★
お釈迦様の教えとは、自分がガラスにぶつかっていることに気づき、
開いている窓の隙間を見つけて、そこから出る方法だ。これを仏教
では「執着を手放す」という。
何かに執着してしまうと、それしか見えなくなったり、物事の見え
方が固定化してしまう。視野が狭くなり、大切なことを見落とした
り、ありのままに物事を見ることができなくなる。
そんな状態で、物事がうまくいくはずがない。ビジネスでも「儲け
たい」とばかり考えていたら、目先のことばかりに囚われて、わず
かしか儲けることができなくなる。
「人の悩みを解決したい」「お役に立ちたい」と視点がシフトでき
れば、視野は広がる。だから数億円のビジネスを育てることもでき
る。これが、行き詰まりや固定観念を打破する唯一の方法だ。
これは、すべてにおいて言えることだ。「つらい」「苦しい」「嫌
だ」とばかり考えていて、幸せにはなれない。だから、執着を手放
し、視点のシフトを促してい。これが、お釈迦様の教えなのだ。
★
人間「変わりたい」と思っていても、簡単には変われない。だが、
死を間近に感じることで生き方が変わることがある。たとえば交通
事故に遭って一命を取り止め、内面が劇的に変わった人がいる。
禅に「大死大活」という言葉がある。「大死」とは、肉体が死を迎
えることでなく、それまでの自分の価値観、常識、囚われに対する
執着を捨てきった境地のことだ。
「大活」とは、大死によって、それまでの人生で培った自分の考え
や価値観や物差しがなくなり、智恵の目で物事が見られるようにな
るさまのことだ。
病気、事故、災害など、死を感じるような体験は、遭ってしまった
ら運命を恨むしかない、つらいだけの出来事ではない。自分の価値
観を大きく変え、生き直すきっかけにもなることなのだ。
★
何事もない、むしろ停滞した日々の中でも「大死大活」して新しく
生まれ変わる方法がある。お釈迦様や武士は、それを「一所懸命」
という言葉で伝えている。
今、目の前にあることに命をかけて、死んだつもりでやることだ。
明日はないつもりで「今」に集中してやるのだ。そうすることで「大
死」が起きる。
一所懸命になれば、好き・嫌い、めんどくさい・めんどくさくない、
楽しい・楽しくない、恥ずかしい・恥ずかしくないというレベルの
自分の中の小さな壁は、どんどん壊されていく。
靴を揃える、食器を洗うなどを「くだらない」「つまらない」と、
考えるのをやめることだ。「何のために」と考えるうちは、命がけ
でない。あれこれ考える余裕があるのは、一所懸命でないからだ。
ひたすら続けていくことで、突然、向こうから答えがやってくる。
物事の見え方が変わり、大いなる開き直りが起こる。自分に大きな
変革を起こすカギは、自分自身が握っているのだ。
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