今週のざっくばらん
オペレーティング・システムの地政学(2)
Linux、BeOS、NeXTStep
Apple が Pink で、Microsoft が OS/2とCairo で、それぞれ「本格的なマルチタスクOS」の開発の困難さに直面していたころ(1980年代の終わりから1990年代の初めごろ)、外では、今に繋がる OS の開発が進んでいました。
一つ目は Linux です(リリースは1991年)。Linux は、Linus Torvalds が(当初は)一人で開発したマルチタスクOSで、GUI は持っていませんでしたが、マルチスレッド、仮想メモリ、プロセスごとに分けられたメモリ空間など、「本格的なマルチタスクOS」と呼んで良い機能を持っていました。
Linux が作られた理由は、ワークステーション用に作られたマルチタスクOSである UNIX がライセンスの問題でゴタゴタとしていたため、ライセンス不要で誰でも使えるOSが必要、という強いニーズがあったためです。Linux はその後、サーバーやスマートフォンで幅広く使われるようになり(スマートフォン向けの Android も Linux の上に作られています)、オープンソースという考え方の有効性が、世の中にはっきりと示された良い例になりました。
二つ目は Be Inc. の BeOS です(最初のリリースは1995年)。BeOS の開発の中心にいたのは、元 Apple の Jean-Louis Gassée とSteve Sakoman の二人です。当初は、BeBox と呼ばれる独自のパソコン(CPU は PowerPC)の OS としてハードウェアごと販売されましたが、後に Apple のハードウェアにも移植されました。
とてもエレガントな設計で(Pink プロジェクトが目指していたことを実現していたと指摘する人もいます)、当時、ことごとく「次世代OS」の開発に失敗していた Apple は真剣に買収を検討し、実際に買収のオファーまで出したと言われています(What Was BeOS, and Why Did People Love It?)。
しかし、最終的に Apple が選んだのは、NeXTStep でした(これが三つ目です)。NeXTStep を開発した NeXT Inc.は、Apple を追い出された Steve Jobs が複数の Apple のエンジニアを引き抜いて 1985年に設立した会社です。
Be と同じく、NeXT も NeXTStep を独自のハードウェア NeXT Computer に搭載する形で世の中にリリースしました(1989年)。しかし、その値段の高さ($6,500)から言えば、パソコンというよりは、ワークステーションで、市場も限られており、ビジネスとして成功したとは言えませんでした。
NeXT は1993年にハードウェアビジネスから撤退し、OS (NeXTStep)、開発環境(Interface Builder)、サーバー環境(WebObject) などをライセンスする、ソフトウェア会社へと転身しました。
Apple が(Be の代わりに) NeXT を買収したのは、1997年でした。買収金額は $429 million で、Be が提案していた価格($300 million)よりもはるかに高い金額でしたが、ボーナスとして Steve Jobs が CEO として Apple に戻って来たので、結果的には、とても良い買い物になりました。
NeXT Step は、後に OSX と名前を変えて Mac の OS としてリリースされ(2001年)、後に、iPhone 用の iOS として世の中を席巻することになります。今でも iOS の中には NSObject、IBOutput などの名前が残っていますが、それぞれ NeXTStep と Interface Builder から来ているのです。
Apple は、90年代の頭から、1997年の NeXT の買収で Steve Jobs が戻るまでの間は、存続が危ぶまれるほどの危機に見舞われましたが、その一番の原因は、「次世代OS」の開発に失敗したことであり、その背景には Steve Jobs の追放劇があったのです。結果的に、Apple がもっとも必要としている「次世代 OS」を Steve Jobs が外部で開発し、その OS を会社ごと・CEO ごと買収することによって、Apple は2000年代以降、飛躍的な成長を成し遂げたのです。
ちなみに、Be Inc. はその後、2001年に(携帯端末を作っていた) Palm Inc. に、BeOS を中心とする知的財産を $11 million で売却した後に精算されました。後に、Palm Inc. は BeOS の権利を含むソフトウェア部門を Palm Source として分社化し、2005年に日本のACCESSに売却しました。
BTRON
BTRON は東大の坂村健(工学博士)によって提唱されたTRONプロジェクトの一環として作られた GUI OS です。80年代後半には松下電器が主体となって開発を進め、一時は、日本の学校教育における標準OSとして検討されたこともありました。
しかし、米国政府がこれを参入障壁とみなしてスーパー301条に基づく制裁の候補にするなどのゴタゴタがあり、さらに(日本では業界のリーダーだった)NECが不採用を決めた結果、政府による採用は見送られました。
最終的にはMS-DOSを採用したNECが教育用パソコンとして大きなシェアをとり、BTONを担いでいた松下電器も90年代に入るとBTONマシンの開発を辞めてしまったそうです。
この一連の動きの背景には、当然ですが(当時私が働いてた)Microsoft も関わっていたので、第三者として語ることは難しいのですが、「国産OS」という考えそのものに無理があったのだと私は思います。
本当にBTRONが良いものであれば、90年代以降に Linux の上のオープンソースなGUIとして生き残る道も十分にあったと思いますが、「国産OS」という考え方と「オープンソース」の間には大きな隔たりがあったのでしょう。
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