帰国手配に入る同業者に「俺らなんかテロの対象になるはずもない」毒づいた
りもしたが、翌日同メッセのホール3(VWグループが入る)に爆弾予告があ
ったとアナウンスされてロックアウトとなった際にはさすがにビビッた。
もちろん当時BARホンダで第3期F1参戦を果たしていたイタリアGPに
は赴き、何事もなく帰国している。翌年のデトロイトNAIAS2002取材の折りに、
NYCマンハッタンのグランドゼロを見てことの重大さを改めて思い知った。
2002年はFIFAワールドカップサッカーの日韓大会開催年。最寄りの横浜
スタジアム(日産スタジアム)と鹿島スタジアム、大阪長居スタジアム(日本
対チュニジア戦)の3戦を観戦できた。すでに20年近く昔の話であり、詳細は
記憶の彼方だが、インターネットメディアの勃興期。まだアナログ通信だった
が、ここからのIT(情報技術)の進展はメディアのあり方そのものを大きく
変えた。
私のスマホデビューは2012年と遅かった。1990年代中頃に手にした携帯電話
に続いて1998年にPCを導入してインターネットにつながったのが46歳の時で
ある。それから今に至る22年間に訪れた変化はそれまでの46年間より遥かに大
きく、手にすることが可能になった情報量は二度目の人生を生きていると思え
るものがある。
メディアの栄枯盛衰は急ピッチで、私がフリーランスの自動車ライターにな
った1978年当時の主要自動車専門誌は10誌に余り、原稿は枡目の原稿用紙に鉛
筆の手書き。発注は有線電話で、納品は手渡し以外になかった。1980年代中頃
にFAXが普及し始め、海外からの入稿も可能になったがイタリアからの送信
(約10枚)で邦貨で10万円を取られた上に未着で、成田に編集者がやって来て
事なきを得たこともある。1987年に国内初のビデオマガジン創刊に抜擢され、
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