「日本におけるトランプ派の登場をどう考えるか?」
日本におけるトランプへの興味には中国膨張への危機意識が背景にはあり、
そこに一定程度の理解はできるという考え方は、一理あるという受け止めを
しております。その上で、日米中の中期的な展望をとにかく考えていかなく
てはというのが、私の立場です。
その一方で、デマを信じる動きは大変に気になります。
特に本稿の前週から今週にかけて、トランプ派が続々と各連邦地裁で訴状
を却下される中で、陰謀論者がどんどん珍説をエスカレートしている中で、
日本でもそうした騒動を面白がる層が増えているようです。
さて、Qがどうとか、パウエル女史がどうという、この種のグループをど
う理解するかですが、私は90年代に科学者の人々がオウムに引き寄せられ
たのとは少し違うように思います。
80年代から90年代の初頭の日本社会は、極端な拝金主義でした。エン
ジニアは「根の暗い、したがってカネに縁のない」存在だとバカにされ、理
系の大学院生でさえ証券会社が引っこ抜いていく時代でした。
そんな中で、社会からの疎外感を強く感じていた理系の人材が、麻原なる
人物のオカルト的な洗脳に簡単に引っ掛かって行ったのには一定の背景があ
ったのだと思います。
一方で、日本における「高学歴Q」の登場については、ややメカニズムが
異なると考えています。大きく分けて3種類のパターンがあるように思われ
ます。
1つは、見上げるように眩しかったアメリカの民主主義が、ここまで堕落
したのかという思いから、一種のカタルシスを感じるという心理です。そこ
には、所詮は他人事というアッケラカンとした無責任さも感じられます。
そこまでは理解の範囲ですが、その先の堕落した陰謀論に自分も乗ってい
くという心理には、2つ目の問題があると思います。それはアンチ・エスタ
ブリッシュメントという「反逆への快楽」です。「いい人であったり、正義
や科学を信じること」を止めてダークサイドに行ってしまうと、スカッと楽
になるというような心理があって、その極端例であるトラとかQに吸い寄せ
られるのだと思います。
3番目は敵味方の論理です。ネットの環境では、やれトラとかパウエルが
どうとか、ジュリアーニは偉いとかQがどうとか言い始めると、それはマズ
いだろという「理性からの批判」がウヨウヨやってくるわけです。そうなる
と、そうした理性を言語で押し返すということになるのですが、一旦これに
ハマると、どんどんそれが快楽になってしまって歯止めが利かなくなるとい
うことなのではと思います。
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