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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第407号2020.11.24配信分
●「エントロピーっておもいろいですよね」日産のエンジニアが発した一言
あれは確か1986年の5月頃だったと記憶する。日産の3代目パルサー発表を
受けて、東京都武蔵村山市に存在した村山テストセンターで”勉強会”のよう
な催しがあった。同センターは当時日産の主力工場の一つ村山工場に隣接され
た付帯設備で、一周約4.25kmのコーナーバンク付きオーバル状高速周回路を備
えていた。
余談だが、村山工場は1966年に日産と合併したプリンス自動車工業の主力工
場であり、元はプリンスのブランドだったスカイラインもS54世代まではこの
村山テストセンターを開発拠点として鍛えられていた経緯がある。また1970年
に日産ブランドとして発表発売された日産初のFF小型車チェリーは、日産に
吸収合併されたプリンスが以前から開発を進めていたプリンスオリジンの横置
きFWDレイアウトであり、シリンダーブロックの直下にトランスミッション
を二階建て風にまとめるミニのイシゴニス式を採用したことで知られる。
この日産チェリーの系譜として1978年に登場したのがパルサーだった。すで
に2000年に5代目のN15系がディスコンとなっているので消えて20年。若い世
代の視野には入らないクルマかもしれないが、チェリーの登場がちょうど私の
自動車人生の始まり(運転免許取得)と重なることからある種の思い入れが深
く感じられる。
唐突に思われるかもしれないが、このパルサーに関わる記憶は現在の日産が
置かれている状況と密接な関係がある。1999年に発表されたNRP(日産リバ
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