「バランス政策の落とし所は真空」
コロナ政策に関する誤解とはは、感染対策と経済再起動のバランスという
問題です。この点に関しては、アメリカの場合は「トランプ派は経済優先」
「バイデン派は対策優先」という、まるでコロナ問題が政治的な対立や争点
になるといった、何ともバカバカしい状態が発生しました。そして、残念な
がらこの対立構図は現在まで続いています。
例えば、リベラル系のメディアでは現場のレポーターなどはマスクをして
登場します。そうしたメディアの視聴者にはその方が好印象になるからです。
一方で、保守系のメディア(特にFOXニュースよりもっと右のポピュリズ
ムを拡散しているOANなど)では、マスクはほとんど見られません。
つまりアメリアの場合は対立が政治対立になっているわけです。一方で、
日本の場合は感染対策を強く訴えるのは専門家、具体的には「分科会」とい
うことになります。これに、ある種のネット世論やTVコメンテーターの声
などが同調します。
これに対して、疲弊しきった地方経済、特に観光やサービス業、そして大
都市でも外食などの産業は非常に厳しいわけです。これに対して、ダイレク
トに支援をするのは難しい中で、税金を投入するとその数倍のカネを消費者
から引き出すことができて、全体でカネが回りだすという「GOTO」が実
施されたわけです。
この「GOTO」は、感染対策サイドの声が大きくなれば停止され、感染
が鎮静化すれば再開されるという性格のものと理解されています。
ここで重要なのは、その時その時の情勢に応じて「対策と経済の正しいバ
ランス」という立ち位置を決めることは「できない」ということです。どう
いうことかというと、コロナをめぐる世論の動きというのは、次の2つの正
反対の力で成り立っているからです。
1つは「少しでも経済を回してくれないと、企業や商店は倒産し、失業と金
融危機、地方社会崩壊の負のスパイラルになる」という恐怖のモメンタム。
2つ目は「コロナの危険は匿名性のあるインフルとは違う。少しでも対策す
れば具体的に一人一人の死亡を防止できる。だから対策を緩めることは死ね
ということだ」という同じく恐怖のモメンタム。
この2つです。そして、この2つは感情論ですが、どちらも人間の生存本
能の根本に根ざしており、個々の人間、あるいは世論という巨大な匿名集団
にとっては、いずれも理性的な妥協ということは不可能です。
ですから、例えば非常に有能な政治家がいて、AIを駆使した政策ブレー
ンが支える中で
「コロナ感染死亡を28%減少させると同時に、破産企業の債務不履行を4
2%減らすことで、地方経済の破綻が回避できそうだ」
という「奇跡のバランス」つまり感染対策と経済推進における「費用対効
果が最高となるピンポイント」を発見したとします。あくまで仮の話ですが、
そうした「ピンポイント」が見つかって、限りある国家のファイナンス能力
をそこに集中することで、見事に社会の破綻を回避できたとしましょう。
仮にそうであっても、その政治家のことは誰も褒めないでしょう。何故な
らば、それでも対策なしの状況と比較したら、やはり72%は死亡するので
す。地方経済、零細なサービス業などでは58%の債務不履行が発生して、
地銀の多くは実質破綻し、金融危機スレスレの経済運営になる危険は残るか
らです。
むしろ胸を張って「これが対策と経済の最も理想的なバランスだ」などと
言明した瞬間に、仮にそれが本当に理想的なピンポイントの達成であっても、
その政治家は瞬間的に政治的には葬られるでしょう。野党からは最大限の攻
撃がされ、与党からは、「とても選挙は戦えない」と言われるに決まってい
ます。(以下略)
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