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この度、田原総一郎氏と対談本を出すことになりました。田原氏の佇まいに西部先生の面影が垣間見え、感慨深い対談となりました。

藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~
この度縁あって、田原総一郎氏と対談本を出すことになりました。テーマは「日本経済 こうすれば一気によくなる」というもの。 田原氏と言えば、これまで直接の接点を得る機会を頂くことはなかったのですが、間接的に言えば、当方の「恩人」といっても良い方。というのも、当方は、評論家・西部邁の弟子なわけですが、その西部門下に入ろうと思った最初のきっかけは、田原氏が司会を務めていた「朝まで生テレビ」を見たのがきっかけだったからです。 あの時、田原氏があの番組を構想していなければ、当方は西部邁の弟子になることも無く、おそらくはこんな893な「言論」人生に足を踏み入れることもなかったに違いなかったわけです。 そんな事もあり、昨日はじめて直接お目にかかり、2時間以上にわたって対談いたしたのですが…実に感慨深いものとなりました。 そもそも当時、大学生だった当方は、テレビというものは誠に下らないだと認識していました。もちろん、テレビと言えば「ごっつええ感じ」やら「全日本プロレス」など好きな番組はあるにはあったのですが、テレビ「言論」は、吐き気がするほど下らないものだと、心底侮蔑していました。 そんな中で、夜中にやっていた朝まで生テレビをふと見ると、部落差別だとか在日朝鮮人だとか皇室だとか右翼だとかテレビでは扱ってはいけないタブーとされていたテーマをガンガン取り上げていたことに、当時の世間をなめきった当方は軽い衝撃を与えたのでした。 で、それを見ていると、大島渚やら野坂昭如やらがわけの分からないことをデカい声でがなりたててるわけですが、それを仕切っていたのが田原総一郎氏だったわけです。 その姿はまさに「猛獣使い」という表現がぴったりだったわけですが、そんな猛獣どもの中で、唯一、極めて理知的で理性的で、非テレビ的な言論を蕩々と立て板の水のごとく話し続ける御仁がおられたのです。 それが、後に我が師となる西部邁、その人でした。

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