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【痛くない死に方 2021年第10号】 死者への罪悪感がない夫が許せない

長尾和宏の「痛くない死に方」
  • 2021/03/12
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 2021年 第 10号 【長尾和宏の「痛くない死に方」】 こんばんは。長尾和宏です。 3650日――東日本大震災から、10年という年月が経ちました。 一個人として、一医療者として、阪神淡路大震災を経験した自分が、この10年、東北のため に何をしてきたか、何をしてこなかったのか、そして、もっと何ができたのか……そんなこと がぐるぐる頭をめぐる一週間です。 10年という時間が、被災された皆さんにとってどんな重みをもつのか。しかしそれは区切りで はないし、昨日、我が国の総理大臣が仰ったような「復興の総仕上げ」の入り口に立ったわけ でもないでしょう。一体何を根拠として、総理は「総仕上げ」という言葉を使ったのだろうか。 一国のリーダーの選んだ言葉に、またもや違和感を覚えたのは私だけではないはずです。 昨日(3月11日)は、深夜のお看取りから帰った後も眠れずに、夜中まで震災関連のテレビ番 組を観ていました。お一人お一人の「喪失」の物語に、辛すぎて、ちゃんと正視できていなか った自分に気が付きました。 未曽有の災害を乗り越えようとしている人たちの、悲しき笑顔が次々と映し出されていました。 親を失った子どもたちが、大人を気遣うために無理して笑っている。 伴侶を失った若い人たちが、子どもを悲しませないように無理して笑っている。 我が子が見つからない親たちが、写真を手に握りしめて小さく微笑む。 住み慣れた家を失った老人が、俺は大丈夫だと心を閉ざしたように唇を噛みしめて笑う。 「私は、大丈夫だ。もっと大変な人がいるのだから、私の心配は不要だ」 そう言って笑う。 そんな東北の人たちを見て、僕は泣いた。 なぜ笑うのだろう。あまりにも悲しすぎて、辛すぎて泣けないのではないか。 それで無理して笑うという精神状態が続けば、心は蝕まれる。心底辛い状況にある人が笑って いるときこそ、「今すぐ助けてくれ」というSOSなのではないか。 「笑えるくらいなのだから、もう大丈夫だろう」では、決してない。 こういう人にこそ、寄り添いただただ話を傾聴させていただく。励ましや助言は毒になる。

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