メルマガ読むならアプリが便利
アプリで開く

第121号(2021年3月15日) 春休み読書企画 戦争について考える

小泉悠と読む軍事大国ロシアの世界戦略
存在感を増す「軍事大国ロシア」を軍事アナリスト小泉悠とともに読み解くメールマガジンをお届けします。 【目次】 ●春休み読書企画 戦争について考える ●今週のニュース ドローンがドローンを指揮する? ●NEW BOOKS アダムスキーが描くロシアの航空宇宙戦略理論 ●編集後記 年度末生き抜きました =============================================== 【春休み読書企画】 戦争について考える  なんとなく「おうちの人から戦争の体験を聞いてきましょう」みたいなタイトルになってしまいましたが、そういう話ではなくてですね(そういえばもう近頃のおうちには戦争体験のある人っていないでしょうしね)。  戦争という現象は現代の世界でどのように位置づけられるのかについて、最近読んだ本をいくつか紹介してみようという企画です。昨年の夏休み読書企画が割と評判よかったので、今回は春休み編。 ・多湖淳『戦争とは何か 国際政治学の挑戦』中央公論新社、2020年  <https://amzn.to/3vmeDSj>  最初に取り上げるのは早稲田大学の多湖淳教授が昨年上梓した『戦争とは何か』。  Amazonのレビュー欄を見てみると分かりますが、この本は毀誉褒貶がものすごく激しいです。ひとことで言えば全方面に喧嘩売ってる本だからですね。  著者の多湖先生は、序章において「科学として戦争を考える」、つまり「透明性の高い手順で構築され、かつ妥当とされる方法論をあてはめて処理されたデータ分析の結果があり、分析の質や内容を再確認できる形の「エビデンス」(証拠)が提示される」ようなやり方の重要性を強調します(19-20頁)。  これは全くお説ごもっともというところで、後から取り上げる中井遼先生の『欧州の排外主義とナショナリズム』なんか読んでると、科学的な手法というのは(その無味乾燥な印象とは裏腹に)こんなに豊かに「政治」や「社会」を描けるんだなぁと感心させられます。  他方、多くの国際政治学徒がカチンときているのは、古典的な国際政治学に対する態度でしょう。以上で引用した箇所に続いて、多湖先生は「本書と対極にある国際政治の考え方について」という項を設け、「極」の数に着目するウォルツ以来のシステム論やリアリズム、リベラリズム、コンストラクティヴィズムの限界を指摘します。  まぁこれもその通りですね、という感じではあるのですが、既存の国際政治学を「風が吹けば桶屋が儲かる」式のものとし、その代表格を高坂正堯になぞらえる(189頁)となると大分頭に来る人もいるでしょう。  正直言って、最初に本書を手に取ったとき、私はそういう感情を持ちました(「おお、俺ってこんなに古典的な国際政治学にシンパシーがあったのか」と思ったり)。国際安全保障学会の会報『国際安全保障』第48巻第2号に本書の書評を寄せた籠谷公司氏(大阪経済大学准教授)が次のように述べているのは、こうした感情的反発を見越してのことでしょう。 「ただ、著者が一般理論(「イズム」)から脱却して科学的手続きに基づいた国際政治学研究の推進を強調しているため、一般理論に基づく研究が仮想敵であるような印象を持つ人もいるかもしれない。しかしながら、これは誤解であり、科学的な国際政治研究は一般理論の影響を少なからず受けている。評者として、この点だけを補足しておきたい。」 「したがって、本書で紹介される知見は、現実主義や自由主義といった一般理論の精緻化ならびに検証が繰り返されてきた科学的営みの成果として捉えるようにしてもらいたい。」  「多湖君いいこと言ってるんだけど言い方ってもんがあるよ」という感じがひしひしと伝わってきますし、まぁ実際そうだなと私も思います。  私が早稲田大学の政治学研究科にいた頃というのは統計理論が日本の政治学に大々的に導入され、院政の中には「統計にあらずんば研究にあらず」みたいなことを言って息巻く人が結構いたのですが、なんとなくそのノリを想起しました。  ただ、この文章を描くために本書を再読してみて、少し印象が変わった部分もあります。多湖先生の問題意識は「いかにして戦争を起こさせないか」であり、そのためには精度の高い国際政治研究の手法が開発されて政策に生かされねばならんのだ、という点で一貫しています。  本書のあとがきで述べられている家族への温かい感情(まぁ三歳児にナッシュ均衡を暗記させるのはどうかとも思うものの)を見ても、その根底にあるのは非常にヒューマニスティックな考え方なのだろうと思います。  と同時に、本書を読み直してもなお残る疑問というのはあります。  多湖先生は「ユニークな戦争はありえない」(25頁)として戦争を一般化して扱えるというテーゼを掲げますが、ロシアという「わかりにくい」国を見ているとどうもそういう感じがしないのです。  たしかに統計を用いた科学的な戦争研究は「戦争と平和をめぐる一般的な傾向の把握を可能」とするのでしょうが、それでは個別事例についてはどうなのか。本書が前提とするように、国家は常に合理的に振る舞うとか、戦争は高コストなものであるから回避しようとするはずである、といった諸前提はどこまで正しいのか。  例えば何を以て国家が「合理的」であるとするのか。  ジョンスソンの『ロシアの戦争理解』(https://amzn.to/2Q0TlJI)をはじめとする多くのロシア軍事研究が明らかにするとおり「西側はロシア弱体化を目論んで公然・非公然、軍事的・非軍事的様々の「目に見えない侵略」を仕掛けてきている」という陰謀論的世界観に政治・軍事指導部が凝り固まっている場合、その世界観の中での「合理性」は科学的研究手法の想定する合理性とはかなり乖離するはずです。  また、戦争は高コストであって、それは軍需産業や為政者にとってもそうだという議論は果たして妥当なのか。この点は、少なくとも本書では「エビデンス」のある形では論証されていません。一般的にはそうだと言えるかもしれないけれども、「この戦争に限っては低コストにやれる」という認識が(正しいか誤っているかは別として)抱かれている場合はどうなるのか。ロシアによるクリミア・ドンバスへの介入などは、こうしたミス・カルキュレーションの下に始まったものであるように思うわけです。  そして「戦争は数えられる」と本書は述べます(3頁)。本書の定義によれば、「戦争は二つ以上の政治的な意思決定を行うアクター(集団)が組織的に暴力を用い、継続的に対立している状態」とされます。さらに、戦争ほどの暴力が行使されない緊張・対立状態までを含めた紛争、戦争と平和の「きわ」としての危機があると整理した上で、戦争の定義にあてはまるものは同列に比較できると前提されています。  しかし、ウクライナ危機のように政治・経済的コストはともかくとして軍事的烈度がそこまで高くない軍事力行使と、第二次世界大戦のような破滅的な大規模戦争とではコスト計算がかなり変わってくる筈であり、この辺も「戦争全般」の理論構築としてはよくても個別の戦争を論じるにはどうかな、という感じがします。  いろいろと言いましたが、本書はたしかに科学的な戦争研究の手法を学ぶ上では格好の入門書ではあるでしょう。とすると本書のタイトルは『戦争とは何か』というよりも(というのも、本書の定義でいうと戦争とは大規模な組織的暴力の行使である、という以上のことにはならないので)『科学的戦争研究とは何か』のほうがピタッと嵌まったかなという気がしてくるわけですが。  まぁ科学的な研究も非科学的な(とは別に思ってないですが)研究も仲良くやってきましょうや。 ・廣瀬陽子『ハイブリッド戦争 ロシアの新しい国家戦略』講談社、2021年

この続きを見るには

この記事は約 NaN 分で読めます( NaN 文字 / 画像 NaN 枚)
これはバックナンバーです
  • シェアする
まぐまぐリーダーアプリ ダウンロードはこちら
  • 小泉悠と読む軍事大国ロシアの世界戦略
  • ロシアは今、世界情勢の中で台風の目になりつつあります。 ウクライナやシリアへの軍事介入、米国大統領選への干渉、英国での化学兵器攻撃など、ロシアのことをニュースで目にしない日はないと言ってもよくなりました。 そのロシアが何を考えているのか、世界をどうしようとしているのかについて、軍事と安全保障を切り口に考えていくメルマガです。 読者からの質問コーナーに加えて毎週のロシア軍事情勢ニュースも配信します。
  • 1,100円 / 月(税込)
  • 毎週 月曜日(祝祭日・年末年始を除く)