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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第423号2021.3.23配信分
●チャレンジした末の失敗は良い経験に他ならない
今を去ること10年前の今日3月23日、何事もなければ私にとって忘れがたい
記憶に残る一日になるはずだった。当時の私は前年(2010年)3月の日本自動車
ジャーナリスト協会(Automobile Journalists Assosiation ofJapan以下
AJAJ)理事選挙に立候補し、10名から成る理事に名を連ねていた。
そこに至る経緯を詳らかにしないと話は見えないだろう。私のAJAJ入会
は1989年だったと記憶する。当時の池田英三会長直々の要請だとすでに会員だ
った1歳年少のS君から聞き、形だけの入会を渋々受け入れた。まだ同協会の
会員数は30名ほどで大半が年長者。S君と同期のN君が入会を認められて日が
浅く、少し上の世代に二つ上で4代目会長を務めたK氏や私がドライバー誌で
仕事を始めた当初の先輩筋Y氏が1980年代前半に会員資格を得ていたはずだ。
率直に言って同協会に対する私の心証は良くなかった。協会発足から20年の
節目だったが、当時の私はフリーランス歴12年目の37歳。血気残る砌である。
基本的に群れるのは好みでなく、徒党を組んでつるむことは避けていた。
人は誰でも3年続ければセミプロにはなれるという。業種を問わず10年続け
られたら本物。何事によらず続けることが出来て、それで食べて行けることが
生業の尺度として説得力を持つ。
私の場合レーサー”上がり”ならぬ”崩れ”であり、ドロップアウトした上
に20代半ばで挫折を経験している。いわゆる潰しの効かない『空っぽの状態』
からスタートして、失敗=落伍者と見做されがちな日本社会で大きなハンデを
背負った。遥か40余年後の現在から振り返ると、こうして生きているのが奇跡
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