前回の対談「イスラムとヨーロッパにおける神秘主義と魔術」につづいて、アラビア・イスラム学者の中西さんと第3弾の対談動画をラジオ形式で収録(2021.01.18)し、公開(2021.02.03)したところ、2カ月後の現在までに750回という驚くべき再生数をたたきだしています。今回は、その文字起こしをお送りします。ちなみに、動画はこちらです>
https://youtu.be/mie7YIe1qVs
「謎が謎を呼んでいる「ヘルメス主義」の正体!?」
H:「前回、神秘主義についてのヨーロッパ学での伝統とアラビア学での伝統を、おたがいの知見を擦りあわせるというか、探りあうというか、そういった試みをおこないました。」
N:「はい。」
H:「そのあとに一緒に話していて、ヘルメス主義というものについても、いろいろな考え方があるのではないかと中西さんから指摘され、幾つか質問もいただいて、良い機会ですから、ラジオ的な対談を収録したら良いのではないかと思いました。」
N:「はい。とても光栄です。文字どおり「ヘルメスの図書館」ですからね、BHは。」
H:「まずは、われわれの動画で壁紙として使用している図像について簡単に説明しましょう。」
N:「はい。」
H:「まずは右半分ですが、これはイタリアのシエナという都市にある大聖堂の床にモザイクが埋めこまれていて、そのひとつがヘルメス像なのです。2004年に美術史研究者の桑木野幸司君とふたりでシエナの都市を訪問したときに、たまたま撮った写真が良かったので、それ以来ずっと気にいって使っています。」
N:「なるほど。」
H:「ルネサンス期のヨーロッパ人が想像したエジプトの神ヘルメスの姿です。」
N:「シエナの大聖堂はルネサンス期に建立されたのですか?」
H:「大聖堂そのものはもっと昔から存在するのでしょうが、こうしたモザイクによる床絵をはめ込んだのはルネサンス期になります。」
N:「ほう。」
H:「イタリアの都市フィレンツェの人文主義者で哲学者のマルシリオ・フィチーノ(Marsilio Ficino, 1433-1499)という人物が、『ヘルメス選集』あるいは『ヘルメス文書』 Corpus Hermeticum と呼ばれるものをギリシア語からラテン語に翻訳して1471年に刊行し、はじめてヨーロッパ世界に紹介しました。」
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