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第128号(2021年5月10日)『現代ロシアの軍事戦略』を語る

小泉悠と読む軍事大国ロシアの世界戦略
存在感を増す「軍事大国ロシア」を軍事アナリスト小泉悠とともに読み解くメールマガジンをお届けします。 【目次】 ●NEW BOOKS 自著『現代ロシアの軍事戦略』を語る ●今週のニュース 新型原潜の就役、新型重ICBMがついに飛行試験へ、シリアのロシア海軍基地増強 ほか ●NEW CLIPS ウズベキスタン戦勝記念日で将軍たちがまごまご ●編集後記 物書きの業 =============================================== 【NEW BOOKS】自著『現代ロシアの軍事戦略』を語る  拙著『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房、2021年 <https://amzn.to/3uuBA4K>)がいよいよ発売になりました。おかげさまで初速は結構売れてくれているとのことで、ありがたい限りです。  そこで連休明けの今回は、販促も兼ねて本書の見所を筆者なりに紹介してみたいと思います。  本書の根底には、近年流行りの「ハイブリッド戦争」という概念に対する問題意識のようなものがあります。数年前、米国のロシア安保研究者であるオリガ・オライカーが「近頃ではロシアのやることはみんな「ハイブリッド」になってしまう」と呟いたことがありましたが、私の問題意識というのは要するにこれです。  いわゆる古典的な外交から諜報活動、サイバー攻撃、破壊活動、コロナウイルス対策まで、あらゆるものが「ロシアのハイブリッド戦争」という枠で括られてしまい、結局ロシアの本当の戦略とは何なのかがよく見えなくなっているのではないか、と言い換えてもいいでしょう。  また、名桜大学の志田淳二郎准教授が最近の著書『ハイブリッド戦争の時代』(並木書房、2021年 <https://amzn.to/3odNT3j>)で指摘しているように、ハイブリッド戦争はマルチドメイン作戦と混同されることもあります。たしかに両方とも多様な手段を混交(ハイブリッド)させる戦い方ではあるのですが、想定される事態の烈度は大きく違います。前者が主として平時〜グレーゾーン事態における闘争方法であるのに対し、後者はグレーゾーン〜有事という高烈度事態における闘争方法であるからです。  では、結局、ハイブリッド戦争とは何なのか。  本書では暴力を一つの基準に据えました。暴力を用いず(あるいは中心とせず)、非軍事的な手段を中心として遂行される国家間闘争の形態がハイブリッド戦争だということです。  逆に言えば、暴力のみよって(あるいは暴力を中心的な手段として)遂行される闘争は、そこにいかに新奇な手段が含まれようと、国家以外の主体が関与していようと、それはただの戦争だと見なすべきだということになります。  本書の中でも論じている通り、そもそも歴史上の戦争は大部分が多様な手段と主体の組み合わせで遂行されてきたのであり、そこにハイブリッドな要素が存在するということ=ハイブリッド戦争、ではないはずです(だとすると歴史上の大部分の戦争がハイブリッド戦争に該当することになる)。これはロシアでも同様で、本書ではチェコ人の汎スラヴ主義者ハシェクのロシア内戦における経験を元にした自伝的小説「ブグリマ市の司令官」を以下のように紹介しました。 「チェコ人でありながら赤軍に身を投じたハシェクは、人民委員としてウラル地方のブグリマ市をポーランド軍から防衛する作戦の司令官を任されるのだが、その様相はまさにハイブリッド戦争そのものである。  なにしろ司令官であるハシェクからして軍事には全くの素人で、師団には何個の大隊が存在するのか、軽砲大隊にはいくつの輸送用そりが必要なのか皆目検討がつかない。  また、彼の指揮下には精鋭のペトログラード騎兵連隊があるかと思えば、山賊の頭領のようなイェロヒモフが率いるトヴェーリ革命連隊があり、最も頼りになるのは、革命にもイデオロギーにもまるで無関心だが粘り強く忠誠心の篤いチュヴァシ人兵士――といった具合であった」  ただ、本書の直接的なテーマは、ハイブリッド戦争そのものではありません。以上で見たように、ハイブリッド戦争というのは国家間対立の閾値が暴力の行使に至らない条件下での闘争手段であり、したがって「軍事」戦略とは呼び難いためです。それはかつてジョージ・ケナンが「政治戦」と呼んだ非軍事的闘争の延長上にあるものと見た方がよいでしょう。  また、本書ではハイブリッド戦争に近い考え方を提唱したロシアの思想家たちの議論も紹介しています。亡命白軍軍人エフゲニー・メッスネルによる「非線形戦争」や現代ロシアの軍事思想家イーゴリ・パナーリンの「情報戦争」理論、ロシア軍人ウラジミール・スリプチェンコによる「第6世代戦争」論などがそれで、これらはいずれも非軍事的闘争が古典的な軍事的闘争に取って代わるという点で共通します。  しかし、これらの議論はどこまで妥当なのか、という疑問は残るでしょう。  第一に、国家間の緊張状況が極限にまで達した時、そこで中心となる闘争手段はやはり暴力ではないのか、という点が挙げられます。非軍事的闘争のみで決着がつく事態というのもあるにはあるのでしょうが、また別の事態においてはそれが軍事的闘争へとエスカレートする事態はある筈です。  第二に、ロシアの現役軍人たちは果たして非軍事的闘争が軍事的闘争にとって代わるというビジョンをどこまで共有しているのか。  ロシア軍人による非軍事的闘争論と言えば2013年にゲラシモフ参謀総長が行った演説「予測における科学の価値」(https://note.com/cccp1917/n/n7f9d8e44cf65?magazine_key=m6e2f7e7c705f)がよく引き合いに出されますが、同人の演説をよく読んでみると、その力点は依然として軍事的闘争に置かれていることがわかります。つまり、ゲラシモフらロシアの高級軍人たちが構想しているのは、純粋な非軍事的闘争としての「ハイブリッド戦争」ではなく、多様な手段や主体で軍事力を補強しながら戦う「ハイブリッドな戦争」なのではないかということです。  そして第三に、非軍事的闘争を成立させているのは、実は軍事的闘争へと発展した場合の破壊的な効果への恐れではないのか。軍事的闘争(特に核兵器を使用した全面戦争)があまりにも高コストであるがゆえに非軍事的闘争が選択されるのであって、両者は実はコインの裏表なのではないか。  こうした疑問を提示した上で、本書の後半では、近年におけるロシアの軍事力行使の実例や大規模軍事演習の内容を検討していきます。ここで明らかになるのは、ロシアの「軍事」戦略は「ハイブリッドな戦争」であって、非軍事的闘争ではないということです。平時における闘争手段としてロシアがハイブリッド戦争を展開していることは事実であるとしても、それはロシアの戦略の全体ではない---と言い換えてもいいでしょう。  このように、本書では暴力というものが依然として現代性を帯びていることを論証していきますが、ここにも留保をつける必要があります。それは、暴力=軍事的闘争手段が極限状況では中心的な役割を果たすのは事実だとしても、そこに期待される使い道=効用(utility)には古典的な戦争像と異なる部分がたしかにある、ということです。  というのも、ロシアの軍事力行使は、単に戦闘に勝利するだけでなく、政治的に有利なある状況を作為する(作り出す)ことを目的としているケースが見られるからです。すなわち、紛争を引き起こすこと、長引かせること、適当なところで幕を引くことなどがそれであり、こうした目的のために軍隊は「勝たないように戦う」、「戦わずに展開する」、「威圧を掛ける」といった目的で行使されます。これらはグレーゾーン領域の中でも特に高烈度の事態における軍事力の効用と見ることができるでしょう。  他方、事態がさらにエスカレートし、まさにクラウゼヴィッツが想定したような大国同士の全力を投入した戦争に至った場合はどうでしょうか。  こうした状況下において、ロシアはもはや大国を相手に圧倒的勝利を収めるような力は持っていません。そこで現代ロシアの軍事戦略においては、あらゆる戦闘領域を融合させて自国の継戦能力を維持するとともに敵の戦力発揮を妨害する「損害限定」戦略に訴えます。それでも劣勢を覆しえない場合には、核兵器、精密誘導兵器(PGM)、極超音速兵器などを用いた「エスカレーション抑止」戦略を発動させ、決定的な敗北に至る前に戦争を終結させることを図ります。    広義のテクノロジー(技術や軍事力行使の方法など)が戦争のありようを決定的に変える、という議論は、歴史上幾度となく繰り返されてきました。英国の戦略研究者ローレンス・フリードマンの著書『将来戦争の歴史』には、そのような「未来の歴史」が豊富に収められています。  ただ、ここで重要なのは、テクノロジーが戦争の何を変えるのか、です。テクノロジーはたしかに、戦闘の様態を大きく変えますが、暴力による闘争としての性質はそう簡単に変わりません。本書はこうした考え方に基づいて、21世紀の今日における(あくまでも暴力闘争としての)「ロシア流の戦争方法」について論じたものと言えるでしょう。それがどこまで成功しているのかは読者の皆様のご判断に委ねたいと思います。

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  • ロシアは今、世界情勢の中で台風の目になりつつあります。 ウクライナやシリアへの軍事介入、米国大統領選への干渉、英国での化学兵器攻撃など、ロシアのことをニュースで目にしない日はないと言ってもよくなりました。 そのロシアが何を考えているのか、世界をどうしようとしているのかについて、軍事と安全保障を切り口に考えていくメルマガです。 読者からの質問コーナーに加えて毎週のロシア軍事情勢ニュースも配信します。
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