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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第429号2021.5.11配信分
●『モノ』から『体験』へと価値判断の対象を移した国際社会
果たして時代はどっちに向かっているのだろう? 折からのCOVID-19パンデ
ミック禍によって、時代が滞っている印象が否めない今日この頃。いっぽうで
SDG'sやCOP21パリ協定の2030年があり、中期的には2050年(もはやあと
30年を割り込んでいる)のカーボンニュートラルが控えているが、こと日本国
内の状況を端的に言えば旧態依然の社会構造や法的枠組みが残され、あたかも
摺り合わせ勝負の製造業が”変れない仕組みの象徴”であるかのよ力を持ち続
けながら、国を挙げての延命に躍起となっているように映る。
国際社会が『モノ』から『体験』へと価値判断の対象を移し大きく変貌を遂
げて行く中、UI(ユーザーインターフェイス)の基本となるダイバーシティ
(多様性)やジェンダーフリー(性差からの解放)への対応が求められている。
高度な工業化社会の実現には有効だった均質性や集団主義から、人それぞれで
異なる個性の尊重や価値観の多様性を問う方向へと潮目が変った観がある。
これまで技術やハードウェアによる一転突破を可能にしてきたのは、それら
の”性能”を価値として消費できる先進諸国という受け皿があったからだ。そ
の市場性に期待してグローバル化に踏み出せたことが、ピークアウトの時期を
迎えてもなお日本社会が右肩上がりの成長を続けられた最大要因でもあった。
いっぽうで国内におけるデフレ状況は平成の30年間を要しても一向に改善さ
れなかった。戦後の復興を目的としたあらゆる仕組みは社会の進歩とともにア
ップデートを必要としていたのに、硬直化した行政官僚機構の縦割りとそれを
許した憲法を中心とする法体系が機能不全を深刻化させた。一言で言えば『制
度疲労』であり、モノの優秀さを肝心の自国民が享受できない状況を許した。
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