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言いすぎか!! 弁護士 北村晴男 本音を語る Vol.118

言いすぎか!! 弁護士 北村晴男 本音を語る
━=━=━=━=━=━=━=━= 言いすぎか!! 弁護士北村晴男 本音を語る ━=━=━=━=━=━=━=━= Vol.118 2021.5.30 ■□■…………………………………… 目次 ……………………………………■□■  【1】 『尊敬と感謝に値する国       自国民の「命」を守るとは(上)』  【2】 『北村晴男の"素"』  【3】 『番組出演予定       イベント情報』 ……………………………………………  【1】 『尊敬と感謝に値する国       自国民の「命」を守るとは(上)』 …………………………………………… エルトゥールル号遭難事故 門田隆将さんが著した『日本 遙かなり』(PHP研究所、2015年)を久しぶりに読み直した。1回目に読んだときもそうだったが、ものすごく感動した。 サブタイトルは、『エルトゥールルの「奇跡」と邦人救出の「迷走」』。帯には『なぜトルコは、助けに来てくれたのか? どうして日本は、助けに来ないのか?―安保法制でも救えない「日本国民の命」』とある。 エルトゥールルとは、1890年(明治23年)、オスマン帝国(現トルコ共和国)の親善使節団として日本を訪れた軍艦エルトゥールル号のことで、和歌山県串本町にある樫野埼灯台沖で嵐に遭遇、座礁して乗組員580名以上の犠牲者を出す海難事故を起こした。その「奇跡」は67名の生存者を、串本の村人たちが懸命に救助したことから始まる。 このエルトゥールル号遭難事故は「海難1890」(東映、2015年)という映画にもなった。映画のキャッチコピーは「日本人が知らない奇跡の実話」。日本・トルコ友好125周年記念として製作されたこの作品により、私も観て感動したが、多くの日本人がトルコとの深い絆を知ることになった。 ノルマントン号事件 実は伏線が4年前にあった。1886年(明治19年)、串本町沖のほぼ同じ場所で、イギリスの貨客船、ノルマントン号が座礁する事件が起きている。 暴風雨、座礁、沈没、そして地元の人々の必死の救出劇と、エルトゥールル号の遭難と似た出来事。だが、ノルマントン号の事故は、日本中を憤激(ふんげき)させる大事件となった。 欧米人の船長以下26名の乗組員は全員、救命ボート4隻で脱出に成功、助かっている。だが、日本人の乗客25名が、全員、行方不明。遺体は一体も上がらなかった。 さらに、インド人のボイラーマン、12名も全員、助からなかった。アジア人で唯一助かったのは支那人(中国人)のボーイ、1人だけ。つまり欧米人は26人全員が助かり、アジア人はほぼ全員の37人が死んだのだ。 事実が明らかになっていくに従い、わかってきたことは、日本人は25人全員、船に閉じ込められて海中深くに沈んでいったということだった。ノルマントン号のジョン・ウイリアム・ドレーク船長は日本中から糾弾されることになる。 だが、死人に口なし。ドレーク船長は神戸の英国領事館での海難審判で、以下のように陳述する。 「日本人に早く救命ボートに乗り移るよう勧めた。しかし、日本人には私たちの英語がわからなかった。そのため、船員たちの勧めに応じる者は一人もいなかった。彼らは船内に籠(こ)もったまま、出てこようとしなかった。私たちは仕方なくボートに乗り移ったのだ」 日本人の中には、長く外国船に乗っていて、英語が堪能な人間もいた。全員英語がわかるはずのインド人も助かっていない。だからドレーク船長の説明は「ありえない話」。日本人もインド人も状況を理解できない動物ではないのだ。 この当時、テレビもラジオも無い時代だが、新聞はすでに読売新聞も朝日新聞も創刊されおり、ノルマントン号事件の詳細は、新聞によって全国に知れ渡っていく。 「外國人の不注意なるが為なり 否(い)な故意に出でたるなりといふを聞かバ 悲哀ハ變(へん)じて憤怒(ふんぬ)となり 頭髪さかだちて冠(くわん)を衝(つ)くを覺(おぼ)えぞ」(明治19年11月18日讀賣新聞) 国内の世論は沸騰、ドレークには「奴隷鬼」という当て字が当てられて、怨嗟(えんさ)の的(まと)になった。「人種差別」という言葉が、日本中に知れ渡った事件だ。 神戸港から本国に帰ろうとしたドレーク船長に、当時の外務大臣、井上馨(かおる)が出国を差し止め、兵庫県知事によって横浜英国領事裁判所に殺人罪で告発させた。 なぜ英国の領事裁判か。当時はまだ不平等条約で、欧米人に対する裁判権が日本にはなかったからだ。 結果は、ドレーク船長が禁錮3ヶ月。それ以外の乗組員は全員無罪。ありえない軽さだ。 この屈辱的な審判(判決)に対する国民の悔しさと怒りが、「不平等条約」の改正と、「領事裁判権」の撤廃を求める世論ともなり、領事裁判権は事件の8年後の1894年(明治27年)に撤廃されるに至った。  :  : 日本からは救援機は来ません そのことが、エルトゥールル号事故から95年後に起こったイラン・イラク戦争(1980〜88年)時の邦人救出劇へとつながっていくことになる。これが「奇跡」。 1985年3月12日午前2時35分。テヘランを襲ったイラク軍機の爆撃と、それを狙ったイランの対空砲火が、日本人駐在員の生活を一変させた。 それまでは国境付近で小競り合いを続けるような戦争だった。それが3月11日昼、イラン空軍機がイラクの首都バグダッドを攻撃。翌12日未明、テヘラン市内が爆撃される。いよいよ日本人が国外退去しなければならない現実に直面することとなった。 まず驚いたエピソードとして、駐イラン大使館のナンバー2である公使、高橋雅二さんの発言。なかなか型破りな外交官で、テヘランに赴任した人が公使に挨拶に来た際、必ずこう告げたという。 「今は600キロ先で戦争をやっています。テヘランは一見、平和に見えます。しかし、いずれ日本人の引き揚げということが起こるでしょう。その時になって、私がこういうことを言ったら、皆さんはものすごく怒るでしょうから、いま言わせてもらいます。『日本政府は頼りにならない』ということです」 「日本政府は何もできない。日本国からは飛行機は飛んでこないということです。いざという時、ほかの国からは救援機が来るけれども、日本からは来ません。いや、来られません。だから、救援機をアテにしないで、普段から、自分でいざという時の努力をお願いします」

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