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【死んでも書きたい話】日本での出稼ぎで豪邸を建てた「偽装難民」

安田純平の死んでも書きたい話
今回は難民認定制度の話です。 外国人の収容や送還に関する制度を見直す入管難民法改正案が今国会での採決を見送られました。難民申請をしている外国人でも強制送還される点や、収容施設内で死亡したスリランカ人女性への対応がなど問題となり、政府・与党が採決を断念したものですが、まだ法案を巡って賛否争われていたさなかに帰国したある外国人がいました。 2010年に来日したネパール人Kは、入国してすぐに難民申請をしましたが認められず、再申請するたびに却下され、4回目の申請を試みた昨年10月、入管から「これ以上の申請は受け付けない」と拒否されました。そのまま半年ほど不法滞在を続けましたが、今年4月下旬、約11年に及んだ日本滞在を終えて帰国しました。 私がKと出会ったのは2007年。イラクでの戦場出稼ぎ労働の取材をするために隣国クウェートで就職活動をしていたころです。やはりイラクでの労働を希望してネパールから来ていたKと知り合い、他のネパール人たちと滞在していたアパートに同居させてもらって、ともにブローカーを訪ねまわりました。明るく単純明快な性格のKとは特に親しくなり、仕事が決まらず取材の見通しが立たない状態にあっても楽しく過ごすことができました。 Kはインド軍グルカ(ネパール人部隊)の元兵士で、イラクの米軍基地で3回働いた経験がありましたが、07年には就職が決まらずに帰国しました。私はその後、イラクでの料理人の職を見つけ、08年2月まで働いて著書「ルポ 戦場出稼ぎ労働者」(集英社新書)にまとめました。Kは、就職活動編の第1章でたびたび登場しています。 イラクの戦場出稼ぎ労働のためにクウェートで就職活動をしていたネパール人たち。一番右がK=2007年、クウェート市 -----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

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  • ジャーナリスト安田純平が現場で見たり聞いたりした話を書いていきます。まずは、シリアで人質にされていた3年4カ月間やその後のことを、獄中でしたためた日記などをもとに綴っていきます。
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