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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第431号2021.5.25配信分
●「お前、これをやるのか?」
先週末は富士スピードウェイ(FSW)に出掛けた。もう何年ぶりになるだろう。
随分久しぶりという気がする。『スーパー耐久2021 POWERED by Hankook第3戦
NAPAC富士SUPER TEC24時間レース』。取材……ではなく、「団子売り」という
人生初の経験としてやって来た。
少し説明がいるだろう。高橋健二という20年来の付き合いになる同業の先輩
がいる。遥か46年にここ富士SWでフレッシュマンレースを始めた時に、家の
近所にあった東名自動車でエンジンを組んでもらった。その時のTOMEIのエー
スドライバーがサニー使いの名手として名を馳せた高橋健二であり、新米の私
からすれば年長の兄弟子に当たる。
元々東名のオーナー兼エースドライバーだった鈴木誠一に師事するべく地元
の名チューナー製A12型OHV搭載をデフォルトとして考えていた。ところが
レースデビューの前年1974年6月2日富士グランチャンピオンシリーズ第2戦第2
ヒートのスタート直後の混乱に巻き込まれ、シートベルトに固定されたまま悲
劇的な焼死で命を落す。
私はこのシーンを初めてサーキットに誘った父親とともに最終コーナー寄り
のグランドスタンド目撃している。ようやく翌年からのレース参戦の目途が立
ったので、一度現場を見ておいてもらおう。多分そんなことを思ったのだろう。
ひどいレースだった。波瀾の兆しは第1ヒートのローリングの隊列が整わな
いままスタートが切られた時に始まっていた。ポールシッター黒沢元治の隊列
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