朝のワイドショーを見ていたら、地方の高校生がハーバードに合格したと大騒ぎしていた。
ここもテレビ局の無知があるが、もちろん論文や面接など、その男の子の英語力や発想は素晴らしかったのは間違いないが、アメリカの大学では在学中の成績を見るので、地方の高校で1番のほうが開成や灘で10番より上の扱いを受ける。
地方なのにすごいというのは大きな勘違いだ。
いずれにせよ、経済力(おそらく6万ドルやそこらの経費が年間かかるはずだ、これも全然言及されなかった)が許せば、東大のクズ教授に「これが正しい」と教えられるより、ハーバードの教授と議論のできる教育を受けるほうが発想は豊かになるはずだ。
将来を期待したい。
私はご存知の通り、受験勉強を否定しない。
受験勉強で頭が固くなるようなことが言われるが、それは受験の世界を知らない人がいうことだ。学校に逆らい、いろいろな勉強法を工夫する人のほうが入りやすい。少なくとも受験勉強を通じて、勉強のやり方を身に着けることができる。これが大人になってからの財産だ。
しかしながら、日本は大学に入ってからの教育が悪すぎる。
疑ったり、議論したりという教育をやらない。
教授のいうことに素直に従う人間が優をたくさんとる。
東大の法学部では、それが忖度官僚を生み、せっかく理系のその年のトップテンのような頭脳の持ち主が、一生教授の金魚のしっぱのような人間になる。
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