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【第8号】大川原 明の「アキーラ海外見聞録」6月25日発行「パラオ共和国」日米激戦地となったペリリュー島

大川原 明の「アキーラ海外見聞録」
【第8号】大川原 明の「アキーラ海外見聞録」6月25日発行『かつての日本の委任統治領『パラオ共和国』日米激戦地となったペリリュー島』 目次 1. かつての日本の委任統治領『パラオ共和国』日米激戦地となったペリリュー島 2. ネオナチ?スキンヘッド?ポーランドのワルシャワで危険な目に遭った体験談 3. 数年海外旅行は無理?いつから海外旅行に行けるようになるのか 1. かつての日本の委任統治領『パラオ共和国』日米激戦地となったペリリュー島 パラオ共和国と聞いて知らない日本人もいるであろう。人口は約18000人、世界で3番目に人口の少ない国である。日本からの直行便がかつて成田空港からデルタ航空が就航していたが、現在は就航廃止。グアムなどを経由する必要がある。 パラオは1885年にスペイン領、1899年にドイツ領となった。第一次世界大戦時、日本は日英同盟のもと、連合国として参戦。第二次世界大戦とは異なり、戦勝国になった日本。欧州地中海に海軍軍艦を派遣した他、ミクロネシアにも海軍を派遣し、ドイツ守備隊を撃破し、降伏させ、占領。 その後、1919年のパリの講和会議でパラオは日本の委任統治領となり、コロールに南洋庁西部支庁が置かれ、多くの日本人が移住した。アメリカとの戦いに敗れ、占領される1944年、正確にいうと1945年の日本のポツダム宣言受諾まで続いた。 日本統治時代のインフラ整備やコロール島などの委任統治時代の建物などに関しては別号で紹介する。 今回は、日米激戦地となったペリリュー島を紹介。日本軍が玉砕した地で、今もなお、旧日本軍関連の遺構が多く残っている。コロール島からは高速船で1時間程の距離。コロール島の南西に位置している面積13㎢の小さな島である。ペリリュー島に関してはご紹介したい所が多くあるので、翌号(第9号)と2回に分けて記事化します。 ※ツアーの場合、下記のような小型船での移動に コロールの港からペリリュー島までは1時間程。パラオの海は非常に綺麗で、今まで90か国以上訪問し、世界各地のビーチリゾートを訪問してきた小生でもパラオの海はお薦め出来る程綺麗である。海水浴は勿論、シュノーケリングやダイビングでサンゴ礁や熱帯魚を楽しむ事が出来る。

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