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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第437号2021.7.13配信分
●アベレージドライバーの気持ちが分かるプロフェッショナルを目指した
唐突だが、私はある時からクルマの運転スキルを磨くことを止めた。誤解を
恐れずに言うと、これ以上ドライビングが上手くなることのリスクを考えるよ
うになった。きっかけはこれまで何度も書き連ねてきた取材中の事故だった。
忘れもしない1985年12月11日、時刻は午後0時50分過ぎだったはずである。
ところは富士スピードウェイ(当時は頭文字を取ってFISCO:フィスコと呼ばれ
た)。零時から1時までは昼休み時間であり、ポスト要因を簡素化する代わり
にメディア向けに廉価な専有走行帯として供されることがあった。
この日当時八王子に拠点を構えるオートビューレックモータースポーツ所有
のトヨタ・トムス85CとハルトゲBMW635CSiを試乗することになっていた。取材
は自動車専門誌の老舗八重洲出版driver。編集担当は長く同社写真部に所属し
て組織改編にともなってカメラを置いてモータースポーツ系の編集担当となっ
ていたT.Yさんである。
そもそも企画の発端は前シーズン終了後に遡る。当時話題のシルエットフォ
ーミュラに試乗する話が舞い込んだ。その時は確かオレンジのオートバックス
カラーに塗られたブルーバード(910)。LZ20B(2.1L直4ターボ:570ps/7600
rpm、55.0kgm/6400rpm)をフロントに搭載し、米国ダグナッシュ製の5速MTを組
み合わせたモンスター。あの当時強大なパワー/トルクのエンジンに対応でき
るFR用トランスミッションは他に存在しないと聞いた。
ドライバーは以前から顔見知りだった柳田春人さん。このエンジンが翌1985
年から本格参戦を始めた日産のグループCマシンに用いられることになって、
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