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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第438号2021.7.20配信分
●快晴の10月10日の開会式で見た赤のブレザーに白の記憶
オリンピックが始まった。1年延期開催となった東京オリンピック2020大会
の開会式は7月23日だが、インターバルが必要なトーナメント競技の女子ソフ
トボールや男女それぞれのサッカーなどは開会式前の競技開始が恒例となって
いる。何かと物議を醸し出したオリンピック。止めを刺すように昨年初以来の
新形コロナウィルス(COVID-19)がパンデミックの様相を呈して世界を混乱させ
て現在に至っている。
私は、1964年の第18回東京オリンピックを記憶する世代。中学に上がった年
の10月、神宮の国立競技場で繰り広げられた開会式の日本選手団が入場行進す
る姿が脳裏に焼きついている。もちろんテレビ中継での話。3C(CAR、COOLE
R、COLOR TV)が豊かさの指針となる『三種の神器』ともてはやされた時代、
カラーテレビの普及に東京オリンピックが大きな役割を果たしたことを知る。
私は多摩川を挟んだ東京の対岸、川崎市の中部の育ちだが、当時の街が変貌
を遂げる槌音を耳にし、変わり行く町並みを見ている。2008年の北京五輪から
2010年の上海万博にかけての中国の都市の激変ぶりを50代の分別盛りにして目
にしたが、それは1964年東京五輪、1970年大阪万博という行事誘導政策(イベ
ント オリエンテッドポリシー)を用いた高度経済成長期の記憶につながった。
中国のこの15年ほどの変貌ぶりは、2004年のF1中国GP観戦で上海を始め
て訪れ、広州市(広州ホンダ本社を表敬訪問)まで足を伸ばして以来、2007年
の上海から隔年開催の北京というAuto China=国際自動車ショーを10年に渡り
取材する過程で目の当たりにしている。
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