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「多様性」を重視した東京五倫開会式は、日本人が自信と誇りを失った姿を世界に晒す機会となった。

藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~
東京オリンピックが始まりました。一日本国民として、日本の「歴史的イベント」を目撃すべく、テレビでその開幕式の様子を観ました。 日本国民は、このイベントについて、ポジティブなものからネガティブなものまで多様な意見を持たれたようですが、もう折角始まってしまったのだから、何とか盛り上げようじゃないか、選手の皆さんも世界中から集まってこられていることだし、という気分を現時点で共有しているものと思います。 この国民的大イベントを成功させることは、国民としての一定の務めだという意見には一定の説得力があります。しかし、第一にこれが菅総理の政治的戦略の一環として開催されたのみならず、第二にこれがIOCのビジネス戦略の一環として開催されたものである事も事実であり、そして何より第三に、過半数の国民が開催直前までこの開催に後ろ向きであった事を忘れてはなりません。 いわば、国民の事なんて何も考えちゃいない政治家と国際組織に、全然やりたくなかった五倫を強要され、有り難がれよと言われている様なものですから、ここで諸手を挙げてはしゃぎ回るのはいかがなものかと考えるのが常識的な判断とも言えるでしょう。 にも関わらず、(もともと大賛成していた人を除くと)「歓迎しろよ!」なんていう威圧的的空気を醸し出す事ができるのは、ただ単に記憶能力が乏しい精神の持ち主に限られるとも言えるでしょう。 とはいえ、これから何度も繰り返されるであろう「アスリートに罪は無い」という台詞によって、五倫に対する国民の感情は徐々に肯定的なものになっていくことは容易に想像されるところであり、それこそ、菅官邸が狙いに狙っていた戦略だったことは記憶しておく必要はあるでしょう。 ・・・という、今回の五倫開催の「背景」についての考察はさておき、かの五倫開会式、皆様の目にはどう映られましたでしょうか? 最初に断っておきますが、それに対する感想をどう持ったとしても自由であります。 しかし、「普通はこういう感想になるんじゃないか?」とか「こういう感想は浅いだろう」いう意見を表明することも自由です。

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