国民の犠牲のもとに強行された五輪の意味が問われる
「形骸化した復興五輪」
東京オリンピックがついに開催されました。事前には開催への賛否が分かれ、どちらかと言えば開催に否定的な声や慎重論が優勢でした。それでも政府は世論に関わらず、まず開催ありきで事を進めました。内閣支持率が危機的水準に下がる中で秋には選挙をせざるを得ず、これを乗り切るにはワクチン接種とオリンピックで国民のムードを盛り上げることが必要でした。
国民世論がオリンピックに冷ややかな中でも、政府には開催してしまえばいやでも日本選手の活躍に国民の気持ちが盛り上がるとの期待がありました。また、G7など国際的に支持を得た手前、そしてIOCとの関係を考えれば、開催中止は政治的にあり得なかったようです。
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