【第10号】大川原 明の「アキーラ海外見聞録」7月25日発行『かつての日本の委任統治領『パラオ共和国』日米激戦地となったペリリュー島』後半
1. かつての日本の委任統治領『パラオ共和国』日米激戦地となったペリリュー島(後半)
2. 海外の治安注意喚起『偽警官』による金銭搾取
3. 北海道知床斜里で野生のヒグマ撮影
1. かつての日本の委任統治領『パラオ共和国』日米激戦地となったペリリュー島(後半)
第8号で、かつての日本の委任統治領であるパラオ共和国、日米の激戦地となったペリリュー島をご紹介させていただきましたが、今回第10号はペリリュー島記事の後半となります。
前回はコロール島からペリリュー島へまで来る方法と、ペリリュー島民の日本人歓迎ぶり、米軍の最初の上陸地となったオレンジビーチをご紹介。今回は日本軍敷設の空港、ゼロ戦や旧日本軍戦車の残骸や200ミリのキャノン砲、日本軍司令本部跡、水の貯蔵庫、中川大佐を始めとした慰霊碑、ペリリュー神社を紹介します。
日本軍が敷設した昭和14年(1939年)に敷設した飛行場は現在もなお使用されている。長さ1200m、幅80mの交差した滑走路を2本持つ飛行場であった。米軍占領後に、米軍により改修がおこなわれ拡張された。
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