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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第441号2021.8.11配信分
●「たったそれっぽっちじゃ仕事にならん!」
時代を考えてみようではないか。我が身を振り返れば、20代に知り得た世の
中は全体のごく一部に過ぎなかった。それでも、"若さは馬鹿さ"。あの時代だ
からこそモーターレーシングの扉を叩くことに心血を注げた。
高度経済成長は、私が運転免許を取得し晴れて自動車人になった1970年をピ
ークに急減速の局面を迎えた。3年後の第一次石油危機(1973年10月に勃発し
た第四次中東戦争が引き金となった)は、原油の高騰に留まらず便乗値上げの
形であらゆるモノやサービスが値上がり。『狂乱物価』だと新聞報道が騒ぎ立
て、 自動車は諸悪の根源として世間には猛烈な逆風が吹き荒れた。
昭和48年、オイルショックと軌を一にするように始まった自動車の排出ガス
規制。後にガセネタだと分かる牛込柳町の鉛公害を機に始まったガソリンの無
鉛化を覚えている。4エチル鉛はバルブシートの潤滑を目的に添加されていた
はずだが、これは瞬く間に消えて行った。
当時はレース資金を蓄えるためにガソリンスタンド(GS)にいたから現場
で成り行きを目の当たりにした。オイルショックは”親アラブ”の日本には関
係なかった。禁輸は親イスラエル(ということは反アラブ)の西側先進国を対
象に行なわれたと後で知らされるが、日本の経済界はこれを好機と捉えてメデ
ィアを抑えて便乗値上げに走った。
第一次石油危機が報じられたその日もアラブからのタンカーは列をなしてお
り、油断の恐れはなかったという。しかし石油業界はここぞとばかりに値上げ
に走る。GSの現場で常連客に「10リットルしか売れません」平身低頭で告げ
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