昨日は、奥さまのお母様の1周忌で、
家族3人でお墓参りに行っていました。
東京の八王子というところにある、まあよくある巨大霊園で、
広いだけに、ふだんから人はそんなにたくさん見かけるものではないですが、
昨日は「他にいた参拝者は1人だけ」という感じでした。
それはともかく、奥さまと共に驚いたのは、
「多くのお墓にほとんどお花が添えられていない」
ことでした。
お盆過ぎということを考えると、なかなか見たことのない光景で、
結局、
「あまりお墓参りに来ていない」
ということなんでしょうかね。
お盆前後ではなくとも、こんなに花がないのを見ることは、
珍しいです。
「やっぱり墓参りも自粛してるってことなのかね」
などと話していましたが、
霊園全体のあまりの花のない寂しい風景に、
「これそのうち、亡霊たちの反乱でも起こるんじゃないの?」
と奥さまに呟いていましたが、
昨年に続き、今年も日本各地でお祭りや一般参加の鎮魂祭は中止が多いですし、
死者の方々も大変だなあと。
今年も、日本三大祭りの以下は一般参加の行事はすべて中止だったそう。
祇園祭(中止 神事のみ)
天神祭(中止 神事のみ)
神田祭(中止 神事のみ)
4月の報道には、
> 祇園祭の山鉾巡行が中止 2年連続は「第二次大戦以来」
というのもありました。
他にもこういう2年連続で中止となった祭、鎮魂祭は日本中にあると思われ、
非常に珍しいことが続いていることがわかります。
では来年は? といえば、
普通に考えれば、ますますひどくなっていると考えるのが妥当で、
そのうち「開催できる、できない」のレベルを超えて、
「開催しようがない」
という状況にまで突き進むのでしょうかね。
先日のメルマガ 155号でふれました
1915年のシュタイナーの講義の、
以下の部分などを思い出します。
1915年11月22日のシュタイナーの講義より
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死者慰霊日や万霊節に墓地に行って、
貴重な死者たちのイメージに満たされた多数の人々を見、
そして、思い出されている心魂たちを見上げると、
そのイメージは死者たちにとって芸術作品、大聖堂である
ということができます。
地上から輝いてくるものが死者を照らします。
その死者たちにとって、
世界は素晴らしい大聖堂のようなものです。
その大聖堂は私たちにさまざまな秘密を語り、世界に光を注ぎます。
あるいは、そのイメージは大切な写真のように、
愛する人をありありと私たちに思い浮かべさせます。
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ここまでです。
シュタイナーの言うところに沿いますと、
今の状態は、この、
> 死者慰霊日や万霊節に墓地に行って、
> 貴重な死者たちのイメージに満たされた多数の人々を見る
ということが、「できない」ということに死者は陥っているのかもしれません。
昨日のお墓の「花のない光景」を見たときにも、
少しこれを思いましたね。
「生者に余裕がないときには、死者にも余裕がなくなる」
ということなんでしょうか。
しかし今後にしても……。
つまり、墓地に参拝に来る方は基本的には高齢者が多いですので、
ワクチン時代の今、そしてこれからを考えますと、
お参りに来られなくなる方々も多少増えてくるのかなと。
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