■暮らしを振り返りながら
学問は、暮らしや日常生活と密接に関わっている。哲学も同じだ。
そもそもすべての学問は、哲学の一部門だった。暮らしの気付きや
驚きを徹底的に考えることから始まったのが哲学なのだ。
哲学とは「自分自身で考える」営みだ。当たり前と思っていること
こそ、実は何も考えていなかったりする。それを検討し直すことこ
とが大切なのだ。
ただ、自分自身でかんがえるといっても、簡単ではない。「考えろ」
と言われて出てくるのは妄想の類になってしまう。人は何もないと
ころから考えることはできないのだ。
古代ギリシアの哲学者アリストテレスは「人間は身近な不思議に驚
くことによって、自分で考え始め、少しずつ、大きな事柄に関して
も考えるようになった」と述べている。
アリストテレスの言葉に従えば、身近なものに注目することから、
「自分で考える」ことが始まる。身近なものとは暮らしだ。今の暮
らしが嫌で逃げ出しても暮らしそのものから逃げることはできない。
哲学では、物事から逃げるのでなく点検しようと試みる。暮らしに
ついても、暮らしの中で立ち止まって注目し、自分で考えてみる、
あるいは学びなおしていく、そのきっかけにするべきだ。
★
とはいえ、身近な暮らしに驚きや発見はあるだろうか?人は大切な
ものや価値あるものが身近な暮らしにあると思えず、どこか遠いと
ころにあるように錯覚しがちだ。
大事なことは、身近なものには価値がない、大切なことなどないと
決めつけないことだ。暮らしをつまらないものにしないために、身
近な暮らしに積極的に関心を抱くべきだ。
そうすることで見過ごしていたことへの理解を深め、学ぶことがで
きる。これ以上、豊かなきっかけはない。そのことで、私たち自身
の世界が充実していくのだ。
アリストテレスは「哲学は驚きから始まる」といっている。どんな
ものにも驚きと感動を持って接していけば、そこに無限の意義を見
出し、暮らしを豊かにしていくことができるはずだ。
★
小学校で習った事柄も、自分の叡智に高められ、血肉化されていな
いとしたら「知らない」ことと同じだ。単に知っていると思ってい
る事柄のほとんどは、本当には知らないのかもしれない。
そう考えると、人はほとんど何も知らないのだ。たとえば、職場の
同僚や家族について、いくつかのキーワードで相手を理解し「まあ、
彼はこんな人だよな」という感じで接していることがほとんどだ。
「これぐらいでいいよ」という適当さが、物事を適切に理解するこ
とから遠ざけてしまう。だから、知っているつもりで何も知らない
ということになりかねないのだ。
身近な日常生活の中で、世界あるいは人間について、本当の意味で
自分自身で知る、理解する、考えるべきだ。非常に大切なことだ。
日常の小さな気づきや発見を大切にしていくべきだ。
★
仕事や暮らしは、毎日同じことの繰り返しのようだが、仔細に点検
すると、それが錯覚に過ぎないことがわかる。錯覚させるのは、現
実を点検することを怠っているからだ。
確認するために一番手っ取り早いのは、日記をつけることだ。とに
かく、毎日を記録し続けることだ。これが、変化に気づくきっかけ
になる。おすすめだ。
たとえば、接客をしていると、毎日、同じお客さまが来店すること
がある。その人と同じようなやりとりを交わす。だが、365日のそ
のやりとりが同じかというと、絶対に違うはずだ。
そうした細部に注目すると「毎日同じことの繰り返し」と錯覚させ
ているのは自分の勝手な都合であり、世界や暮らしの変化への気づ
きを敬遠させているのも自分だということに気づくはずだ。
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