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<Vol.1186:財政破産をめぐっての神学論争>
2021年10月13日: 信用通貨の根拠があやふやなので、
毎回、神学論争になる
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著者Systems Research LTD:吉田繁治
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抽象的な概念(観念)による議論がされ、結論が出ないのが神学論争です 神の存在について、2000年以上議論があります。結論は出ていない。今後も出ない。
存在を信じる心理だけがあります。信じることは自由です。信仰は不当だという証明もできない。神学論争に対置されるのは、16世紀からの実証科学です。
経済学は実証科学であるべきものです。しかし通貨と国債の信用、財政の破産については、その「信用」はこれだと実証ができず、心理的なものであるため「神学論争」が繰り返されます。
実証できない観念である信用や信じることは、愛と同じように、何かのきっかけがあると変化し、崩壊します。この系列で、国債の信用も心理的なものです。だから、国債発行に経済学的な限界はない。しかし愛にも限界があるように、限界は訪れます。
MMT(現代貨幣論)がいう国債と中央銀行の買いの有効性も、神学論争の系列です。
日本の1200兆円の国債、米国の3100兆円の既発国債は信用されているのか。両国の、近い将来の財政と通貨はどうか、ということです。
「信用あるいは信じること」では結論は出ない。増発されたマネーをもつ人が、損を避けるためどこへ向かわせるかを、検証しなければならない。
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