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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第449号2021.10.12配信分
●人生は出会いと別れがすべてかもしれない
私は2年前に孫を得た。次女の初産で誕生したのは男の子。二女の父親であ
る私にとっては初めての男系の血筋であり、この上ない喜びをもたらしてくれ
た。もしも実子に男子がいたら、現在の境遇とは異なる生き方になっていたと
思う。ジェンダーについての発言は誤解を生じやすいので慎重を期すが、多分
我が子にはそれとなく私の思いや考え方が反映されたのは間違いない。
誤解を承知で言えば、同性の我が子には私なりに考える生き方を望みたい。
もちろん本人の意志は最優先に尊重される必要がある。発育の過程をじっくり
と観察して”彼”の資質を見極めた上で「どう、やってみない?」と勧めて、
「応!」となったら全面的にバックアップしたい……すべては過程の話であり、
すでに世代を飛び越えて孫に期待しているのが現在唯今の私である。
もう後半年ほどで古希を迎える。己が70歳になるなんて、まさに夢の様な話
しであり、それほど年を重ねたという実感を伴うことがない。いわゆる高齢者
と括られる存在であり、一般論として老境を迎えた世代であることは間違いな
いのだが、少なくとも意識の上では21歳の頃の気分と変わらない。
もちろん、その時からみれば48年間も生きたわけで、幾多の経験から学んだ
身体(というか脳)は情報の量という意味では往時の私とは別人になっている
に違いない。21歳どころか、それ以前に時計の針を戻すことが許されるなら、
ああすれば良かった、こうすれば今とは違った結果が得られたはず……思いが
巡ることになるのは誰でも同じだろうが、人生は前進あるのみの一方通行だ。
直面する”今”は過去へと流れて二度と同じ瞬間は訪れてはくれない。
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