久米信行ゼミ「オトナのための学び道楽 」
毎月第1-4 火曜日発行 vol.58 2021/10/19 発 行
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4.久米のイチオシ
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かべを超える絵本。ピーター・シスの闇と夢
ウカツでした。将来、童話作家、さらには絵本作家になることを夢見ているのに、ピーター・シスの絵本を知らなかったなんて。
例によって「ぐるっとパス」で美術館めぐりの練馬区編。入場料無料となる「ちひろ美術館」でほっこりしてから、料金半額の「練馬区立美術館」へと向かったのですが、そこで、遅ればせながら、ピーター・シスという偉大な絵本作家と出会ってしまったのです。
まずは、練馬区立美術館「ピーター・シスの闇と夢」展の公式サイトから、シスさんのプロフィールをご紹介しましょう。・
幼い頃から絵を描くことが大好きだったシスは、1949年にソ連支配下の共産主義国家であるチェコスロヴァキアのブルノで生まれました。子どもが絵を描くことさえも管理される難しい環境の中で育ちましたが、彼は芸術的創作への意欲を失うことなく成長しました。プラハ美術工芸大学とロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで学び、短編アニメーションの制作でその才能を広く認められるようになります。西ベルリン映画祭で金熊賞を、トロント映画祭でグランプリを、そしてロサンゼルスの映画祭では金鷲賞を受賞するに至っています。その才能から、シスは1982年に政府よりロサンゼルス・オリンピック(1984年)の映像制作のためアメリカに派遣されますが、祖国を含めた東側諸国がオリンピックのボイコットを表明したことを受け、この時、アメリカへの亡命を決意します。ニューヨークに拠点を定め、新聞、雑誌、絵本などのジャンルを中心に活動を続け、この新天地において絵本作家としての人生をスタートさせたのです。(後略)
https://neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=202107021625192960
「子どもが絵を描くことも管理される難しい環境」って想像できますか?「表現の自由」が、アーティストやクリエイターの創作のみならず、子どもたちのお絵描きまで制限される世界を。さらには、海外からの情報が、まったく入ってこない「かべの中」の世界を。
それでも、シスさんは恵まれていました。お父さんが映像作家で、政府の仕事のため海外に行くことも多く、そのおみやげの本などに、こっそり触れることができたからです。さらに、家の中に限られますが、両親はシスさんに自由に表現することを奨励したのです。その結果、シスさんは、いつかは自由な海外の国に出ることを夢見るようになっていました。
しかし、当時の政府が望まない作品を創ろうものなら、その夢は断たれてしまいます。学生時代は、アニメーション制作に取り組みますが、作品は常に検閲され、何度も秘密警察の取り調べも受けたとのこと。そんなヒドイことがあるのかと思いましたが、よく考えたら、戦前から戦時中の日本でも、特高による検閲はあったのですから、エラそうなことは言えないかもしれませんね。
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